夢と欲望のデザイア3

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夢と欲望のデザイア3

 おそらく私は負けず嫌いだったのだ。だから健次に歌を褒められなかったことを酷く根に持っていた。幼いながらもそこには悔しいという感情があった。健次はそんなこと、まったく意に介してはいなかったけれど……。  健次は本当に普通の男の子として成長していった。彼は幼稚園に入ると他の男子とボール遊びしたり、戦隊ヒーロー物のおもちゃで遊んだりしていた。  私は相変わらず、例のプラスチックマイクで遊んでいた。誰が何と言おうと、このマイクは私の宝物なのだ。 「つきちゃんそのマイクほんま好きやなー」  健次は呆れた口調で言うと、小馬鹿にしたように私のマイクを手に取った。 「ええやろ! ウチはこのマイク気にいっとるんやから!」 「別に文句は言ってへんよ……」  私と健次は幼稚園から小学校にかけていつもこんな感じだった。健次が何かを言って、私がそれに突っかかるようなやりとりがよく行われていた。家が近所だということもあるけれど、私と健次はいつも一緒だった。夏休みもクリスマスも一緒に過ごしたし、登下校もいつも二人で帰った。  これに関しては両家の母親の影響が大きいと思う。鴨川家と岸田家の関係はおおむね良好だった。私の母と健次の母はよく近所の喫茶店で下世話な世間話に花を咲かせていた。  彼女たちは歳が近かったこともあり、とても仲がよかった。あくまで表面的には。 「月子ちゃんには大きくなったら健次のお嫁さんになって貰いたいわぁ」  健次のお母さんはそんな他愛のないお世辞を私と母によく話した。  私の母は「ケンちゃんにはもっとええ子がおるって!」と否定していたけれど……。  そんな母の言葉に私は傷ついていた。なんでお母さんにそんなこと言われなければいけないのだろう? そんなことをいつも思っていた。  勝手に私を謙遜の道具に使わないで欲しい。でも私はそのことで母に抗議したりはしなかった。ただ、不機嫌そうになって口をきかなかっただけだ。  思えば、私は母に対していつも萎縮していた気がする。母はいつも私を自分の思い通りにしたがっていたと思う。私が奇抜なデザインの服をねだれば「普通の服にしなさい」と言ったし、歌手になりたいと夢を語っても、「婿を取って早く家を継ぎなさい」と言うばかりだった。あまりにも意見が合わなすぎて、わざわざ逆の意見を言ってくるように感じるほどだった。  母のその態度には思い当たる節があった。彼女自身も実家の婿取りだったのだ。祖父母の代で鴨川家には女児しか生まれず、長女だった母が跡を継いでいた。母の妹たちは(母には二人の妹がいた)既に他の家に嫁いでいた。それもあって、母は鴨川家の中で一番重い責任を負っていたのだろうと思う。 「あんたは何も考えずいいお婿さん取って鴨川の家を継ぎなさい」  幼い頃から母は私にそんな強い言葉をかけ続けた……。  一方、父はそれとは真逆だった。私の夢に対して「歌手かぁ、ええなー」と笑いながら肯定してくれたし、父としては娘が好きに生きることを望んでいるようだった。母が選ぶ物はどれも気に入らなかったけれど、父だけは母が選んだ物の中で唯一好きな物だった。父はとても穏やかでうるさいことを言わない人だった。寡黙と表現してもいいかもしれない。そんな物静かな父からは深い愛情を受けた。父は婿ということもあり母に対してあまり強い意見は言わなかったけれど……。  ともかく、鴨川家はそんな歪な夫婦関係の上で成り立っていた。砂上の楼閣のように脆く、今にも崩れてしまいそうな歪な関係の上に――。  小学五年に上がる頃、私にとって大きな事件が起きた。それまでは四〇人一クラスだったのに、転校生が来たためにクラスが二つに分かれることになったのだ。 「あーあ、月子ー。遂にこれで腐れ縁も終わりやな」  新学期。私と健次はクラス分け表を見ながらそんな話をしていた。 「せなね……。あー、これでやっとせいせいするわ! ケンちゃんのことでみんなに冷やかされんでに済むわ!」  私は強がりながら健次に笑いかけた。当然、作り笑顔だ。 「ハハハ、お前はほんまに減らず口やなぁ。ま、寂しくなったらいつでも二組遊びに来たらええ!」 「は? 何ゆーとるん? ウチは別に寂しくなんかないで!」  私の強がりな言葉なんて健次にはバレバレだったと思う。彼は何も言わず笑うと私の頭を軽くポンポンと叩いて、自分のクラスへと歩いて行った……。  新しい教室はとても広く感じた。今まで四〇人のクラスが二〇人に変わったのだから当然なのだけれど、それ以上に健次がいないクラスは酷く空虚に感じられた。  私はこれからどうしたらよいのだろう?  そんなどうすることもできない不安で押しつぶされそうになった。初潮を迎えたばかりの私にとって、それはあまりにも深い暗闇のように感じられた。身体は少しずつ大人の女性に変化しているのに気持ちはまるで追いついていない。  広い教室の自分の席に着くと、私は無理な作り笑顔を作った。  いっそのこと、この笑顔の仮面でもあればいいのに――。
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