空白を埋めるのは

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空白を埋めるのは

「お父さんとお母さんのところへ行きたいです。」 もう14だというのに私にはそんな稚拙な文章しかひねり出せなかった。両親の形見である結婚指輪を重石にして遺書を勉強机の上に置く。そして私は住み慣れたマンションの窓から飛び降りた。風が気持ちよかった。 今日ほどに何も怖くなかった時はないだろう。私は自殺する。原因はなにかと問われても私は口ごもってしまうだろう。これといった理由はない。つまり''なんとなく''が理由なのだ。お父さんとお母さんなら多分わかってくれると思う。彼らもそうだったから。 最初はお母さんだった。お母さんは踏切や線路を見るとどうしても飛び込みたくなるらしい。自分自身でもなんでそう思うのかはわからなかったと言っていた。 あの日お母さんは連日のパートで疲れていた。そして家の近くの踏切が母に足止めを喰らわす。もう私たちの住んでいるマンションは母の目に映っていたはずだ。しかし母は電車の迫ってくる音を聞くと自らの好奇に負けた。だけど私とお父さんは涙を流さなかった。周りの人たちは私たちのあまりの薄情さを怪しく思い、よからぬ噂が流れた。それも仕方が無いと思う。その時が来ただけだ。 私とお父さんはいつかこうなると思っていたから覚悟ができていた。別にお母さんのことが嫌いだった訳では無い。むしろ優しく時に厳しい良き母であった。その一方で彼女は掴みどころの無いような不思議な人だった。目を離せば消えてしまいそうな、、そんな人だった。そんな母が自殺をしたのはただの必然であり、むしろここまでよくもった方だと思う。 それは私が10歳のときであった。 そして一昨日。お父さんはその日の朝に私にこう言った。 「寝室の引き出しにお父さんの全財産が入ってるからそれを使いなさい。じゃあ行ってくるね。」 そう言うと父は優しく微笑みいつも通りに家を出た。 「逝ってらっしゃい。」 私はいつも通り笑顔で送り出した。 その日お父さんは務め先である東京の背の高い立派なビルから翔んだ。父は人通りのない裏庭の方に向かって落ちるんだと以前に話していた。人に迷惑をかけないようにする父は立派だなと思った。 学校から家に帰って寝室の引き出しを開けると、これまでに見たことないような量の札束と、ずっと両親の左の薬指に光っていた指輪が入っていた。目測だが札束は全部で8桁はいっている。でもそんな額を渡されても困るんだよね。祖父母に頼る気もないし、児童相談所に行く気もない。将来の夢もないし、この世に心残りもクソも無い。 ただ一つ、大好きな両親と一緒に過ごしたい。私の欲はそれだけだが、ただそのひとつが強情であった。 両親の結婚指輪だけを大切に握り締め、お金は1枚も抜き取らず綺麗に引き出しの中にしまう。窓から射し込む光はもうとっくに無く、街の灯りが木霊のようにぼんやりと浮かんでいた。 しばらくリビングでのんびりしていると電話がかかってきた。宗教勧誘だったらやだなと思いながら受話器をとるとかしこまった声が聞こえてきた。 「。。。。ご愁傷さまです。」 今更言われると少し寂しいような気がしてきた。警察の人は私の落ち着き様に子どもだとは思わなかったらしい。短い電話だった。 お腹がすいたので電気ケトルでお湯を沸かし適当に取ったカップラーメンをつくる。物音のしない部屋で独りラーメンを啜る。何故か今日は人工甘味料のきつい味が舌に訴えて来なかった。残りのカップラーメンは3つ、昼ごはんは給食を食べるので、明後日の朝の分までご飯はある。とりあえずそこまでは生きることにした。カップラーメンがもったいないから。 私は朝起きるのが苦手なので、母は文句のひとつも言わずに起こしてくれた。母が居なくなったら今度は父が起こしてくれた。 今朝はアラームを早めにかけたがそれより早く起きることができた。もしかしたら私は助けがあったから無意識のうちに怠けていただけであって、助けがなくなると順応するのかもしれない。 いつも通り準備をし、いつも通り学校に行く。いつも通り授業を聞き、いつも通り友達と喋る。帰りのホームルームを終え、そそくさと帰ろうとすると、 「かすみー!明日空いてる?」 「あぁ、、明日は。。。」 「明日は?」 なんて返答しよう。自殺するからなんて愚直に言ったらまずいことぐらいわかっている。だからといって嘘をつくのは何故か申し訳ない気がした。 「お父さんのところに行かなくちゃいけないんだよねー!ごめんね!」 あながち間違ってないだろう。早く帰らなきゃ。たぶんお父さんの自殺の件は学校には届いているだろう。先生に捕まったら面倒だ。だいたいあーゆー大人は本人の意思とは関係無く生きさせようとする。ましてや''なんとなく''が理由なんて「命を大切にしなさい」以外の返答は望めない。死にずらい世の中だ。 「そっかー。。ごめんね!」 謝れると悲しい気持ちになる。でも今は帰ることが最優先だった。また明日!そう言ってお互い手を振ってお別れする。保証のない明日を夢見れるなんて幸せな人生だなと思った。 下駄箱に向かう途中で向こうから担任が段々と迫ってくる。嫌に正義感に満ちた瞳は私を見据えていた。早く帰りたい。 「かすみさん、ちょっとお話いいかな。お父さんの。。。」 「まだ気持ちの整理ができてないので。。」 担任の話を遮り、精一杯いたぶる。これじゃ大抵の大人は太刀打ちできない。ただ私はクジ運が悪かったみたいだ。めんどくさい割にデリカシーのない大人は嫌いだ。 「お母さんも4年前に自殺して、お父さんも昨日自殺したんでしょ。先生はかすみさんのことが心配なのよ。あなたも自殺してしまうんじゃないか。。」 「黙ってください。」 ピシャリと言葉を放った。頭で血がグツグツと煮えたぎる。何故私の担任は自殺という言葉を包み隠さずいつも通りの声量で言うのか。しかもホームルーム後の廊下で。普通の人にとってその言葉は少々刺激が強い。一見柔和な顔つきで思慮深そうにも見えるが、所詮ただの馬鹿だったみたいだ。この調子だと明日はもっと面倒になるだろう。腹が立つ。今日で学校生活を締めくくるのが正しい判断だ。締りが悪いが。。 私は先生の前を颯爽と通り過ぎた。周りの生徒からの視線が刺さる。たぶん自殺という単語がいたずらにも耳に入ってしまったのだろう。何故大抵の人は自殺をすることに否定的なのだろう。私にそれを解釈することは難しかった。 部活を無断欠席し、家に帰ると私は勉強机に向かった。鉛筆を持ち、綺麗なコピー用紙を汚していく。 「お父さんとお母さんのところへ行きたいです。」 勉強机の引き出しからお父さんとお母さんの結婚指輪をつまみ出す。それを拙い遺書の上に置いた。カサカサと嗤うように鳴る遺書と、乾いた机を鳴らす指輪の音が部屋に響いた。おもむろに机の上に置いてある家族写真に手を伸ばす。お母さんは死ぬ前の最後の日曜日、急に家族写真を撮りましょうと言ってリビングで撮った写真だ。彼女なりの伏線だったのかもしれない。これを持って落ちれば家族のもとへ行ける気がした。 勉強机の隣にある窓を開けると風が舞い込んできた。風の冷たさに身震いをしたが、白々しい夕暮れを見るとなんだか笑えてきた。 もう後ろは振り返らない。家族写真を胸に抱くと間髪入れずに宙に飛び込んだ。風が心地よい。流れる時は鉛を流し込んだかのように遅く、夕暮れの太陽と一緒に沈むような錯覚を起こした。 ぐにゃり 地面は妙に柔らかかった。間もなく意識が途絶えた。 目覚めると病的に白い天井が見えた。機械音が一定のリズムで聴こえる。そこでようやく意識が追いついた。 「お父さんは?お母さんは?」 狂ったように叫んだ。いや、本当に狂っていた。喉が渇いてるせいで激しく噎せ返る。 周りを見渡すと包帯を巻いてる人や喉から管が出ている人ばかりだった。ふと我に返り自分の体を見るといたるところに包帯が巻かれ、腕から管が伸びていた。状況を理解したと同時に激しい痛みが全身を襲う。私は助かってしまったのだ。運が悪い。 程なくして看護師さんが私のもとに来て私の病状を知らせてくれた。私は約1ヶ月意識が無かったという。体の方はなんとなく察していたが何ヶ所も骨折し全治6ヶ月程だという。でもここで疑問が残る。 「私はマンションの6階から落ちたんですけど、助かるはずがないんです。。何故助かったのでしょうか。。」 そう質問すると看護師さんは痛みを堪えるような表情を浮かべた。嫌な予感がする。 「あんまり自分を責めないでね。」 あぁ、嫌な前置きだ。 「あなたがマンションから飛び降りようと身を乗り出したとき、たまたま目撃した人がいてね、その人が落ちてきたあなたを受け止めたのよ。」 子どもだとはいえ14歳。高さ数メートルから落ちてくる私を受け止めるなんて運が良くても重症だ。 「、、、その人は、どうなりましたか?」 看護師さんはまたも顔を曇らせた。あぁ、嫌だ。おねがいだから 「生きていますよ。」 よかった。私の自己満で死のうとしてるのに、巻き添え喰らわすなんてごめんだ。 「ただ、下半身不随で。。。」 「は?」 思わず口から飛び出した疑問符。そんなんじゃ半殺しにしたようなもんじゃないか。よかったなんてそんな最低な事言ってられない。 「その人は、もう意識が回復しててね。何故かわからないけどあなたに謝りたいと言っているの。だからちょっと先にはなるけどその人に会ってあげてください。じゃあ治療頑張りましょうね。」 頭の中が真っ白だった。死にたい。宙を舞ったあの日よりも強く思った。その一方で''命の恩人''に謝るまでは死ねないなと思った。 それから6ヶ月私の体は私を治そうと頑張ってくれた。体が頑張っている中、私は誰も巻き込まず確実に死ねる方法と''命の恩人''への謝罪を頭を振り絞って考えていた。なんと詫びればいいのだろう。看護師さんの話によると私を受け止めた人は高校2年生だそうだ。まだまだこれからだと言うのに。。。父が遺してくれた全財産を差し上げればいいのだろうか。それでも下半身は戻らない。私は頭を抱えた。 朝起きると昨日まで隣にいた患者さんはベットもろともいなくなっていた。私より3つ上のとても美人な女の子で腕にはびっしりと線が刻まれていた。それとは別に包帯がいっぱい巻かれていて、それは自分が嫌で嫌で向かってくる車の前に身を差し出した時に怪我をしたそうだ。自殺の話が出来る友達が出来て嬉しかったが、自分のそれとは少し違うような気がした。 次はどんな人が来るのだろうと考えていたら、ベットが運ばれてきた。''噂をすればやってくる''と同じ原理なのだろうか。そのベットと一緒に来たのは、6ヶ月ですっかりと仲良くなった看護師さんだった。今日は機嫌が悪いのか少し曇った表情をしている。私のそばに来ると 「急でごめんね。あの方があなたが飛び降りた時に受け止めてくれた桜田さん」 といってベットの方を向いた。ちらりと見えた横顔は陶器のように白かった。私が未来を潰した男の人だ。どう謝るのが正解なのだろうか。 彼のベットが私のベットの横に来る。恐る恐る彼の顔を見ると掴みどころのない、目を離せば消えてしまいそうな人だと思った。 ありがとうございますと彼は丁寧に看護師たちに言う。すると看護師たちは去っていった。 去っていく背中を見届けると彼は私の方を向いて、いきなりこう言った。 「僕も同じなんだ。」 何をもって彼は私との間に共通点を見出したのだろうか。 「何が同じなんだって思ったでしょ。その雰囲気だよ。消えてしまいそうな雰囲気。」 「雰囲気、ですか。。」 「もしかして気づいてない?僕は小さい頃からよく言われていたんだよね。目を離せば消えてしまいそうだって。君も同じだと思う。僕は君を見た時に初めて''目を離せば消えてしまいそう''って感じたんだよね。まぁそのあとすぐに意識失っちゃったんだけどねー」 そういうと彼はコロコロと笑った。病的に白く綺麗な肌だがそのこめかみには醜い傷があった。 「君が空から降ってきた時、受け止めれば人も助けられるし、自分も死ねるんじゃないかと思ったんだ。でも君はそれを望んでなかったみたいだったね。悪いことをしたと思う。」 こう言われてしまうといよいよなんと返したらいいかわからなくなった。謝るのもなにか違うし。。。 「ところでかすみちゃんは''何故死にたいのか''って訊かれたらなんて答える? ちなみに僕はね''なんとなく''って答えるよ」 そう私に微笑みを向ける彼の目には確信の色が宿っていた。その瞳は私をくっきりと映す。覗いてみると情けない自分が映っていた。 「私も、です。」 同じだ。彼は同じ人種なんだ。大好きだった母と父と、そして私と。何故だか震えが止まらない。嗚咽が込み上げてきた。視界がぼやける。あぁ、悲しかったんだな。自分を騙してきたんだ。人の死は必然だが、その死期は自分や他人が左右することができる。私は自分に嘘をつきすぎた。本当はあの時泣き叫びたかった。本当はあの時その背中を止めたかった。嗚咽が収まって彼の方を見やる。彼の纏う雰囲気は、''目を離せば消えてしまいそう''だなと思った。 「私は、もう、何にもっ、何もなくしたくないです。 あなたにも生きていて欲しいです。」 彼は優しい笑みを浮かべてくれた。 優しい日差しがステンドグラスを通り越して降り注いでくる。いつかの日に目指した天国はこんな感じなのだろうかと勝手に思ってしまう。 「まだ死にたい?」 彼は意地悪そうな笑みを浮かべた。私は車椅子に乗った彼に目線を合わせたくてゆっくりとしゃがむ。 「ううん。 きっと貴方が死ぬまでは生きたいと願います。」 「じゃあまだまだ死ねないね。」 そう言って彼は私にかかる純白のベールをすくい上げる。そして私の唇に、まるで消えてしまうかのような、やさしいキスを落とした。 【完】
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