「推し」について考える

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「推し」について考える

 「推し」という言葉が、どうにもしっくりこない。いやもっと積極的に気持ち悪いのである。どうしてこの言葉は、私の気持ちをざらざらっとなでるのだろうか。  この一週間あまりずーっと考えていたが、ふと今朝になって思い浮かんだことがある。  私はいわゆるいじめられっ子だった。思い返せばいやなことばかりではなかったのだが、それはまたおいおい話すとして。  もの心がついた時には、すでに同級生にいじめられていた。通学路の道を、「ここは、あたしのうちの土地だから通っちゃだめ。」というような、たわいないものだったが、当時の私には学校に行くのも嫌になるほどの大変なことだった。  そんな状況だったから、私は極力彼女とかかわりたくなかったのだが、それも許されなかった。  「学校から帰ったら、うちに集合ね。」私には拒否権が無かった。まあそう思っていただけかもしれないが。  当時、彼女はテレビに出ているアイドルの一人が好きだった。どこがかっこいいかを、熱心に語った。他のみんなも同調した。そういう時の彼女は明るくやさしかった。「みーこは誰が好きなの。」私は当時、早寝をさせられていたので音楽番組とか見た事が無かった。だから、当然彼女が好きなアイドルの事も知らなかった。「えーと、」言葉に詰まる私に彼女はイライラし始める。  「みーこなんか好きなものなんか無いんだよね。」  その後も、彼女はなにかにつけて自分の好きな物を押し付けて来た。それは時に、お菓子であったりテレビ番組であったりした。  「これだ。」このせいでわたしは「推し」が嫌いなのだ。「推し」は、私にとっては、「押しつけ」と同じ意味で認識されるのだ。  自分のすきなアイドルを人に勧めるという、「推し」の持つ意味にも符合するではないか。
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