カウンセラー

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 感情は、生気のかたまりだ。けれどもそのままでは、それを生み出した人のもの。欠片にして初めて、僕の中に取り込むことができる。瑠璃色の光を反射する欠片を拾い集め、透明の広口瓶に詰め込んだ。きゅ、と瓶の蓋をきつくしめたちょうどそのとき、相談室の扉が開いた。「せんせー、また話聞いてよ」と威勢よく入ってきたのは、常連の吉崎(よしざき)さんだ。町工場の女社長である吉崎さんが切り離しに来るのは、怒りの感情。自らを怒りっぽい気質だと認める吉崎さんは、従業員へ理不尽な怒りをぶつけてしまわないよう、ここにやって来る。吉崎さんの言葉が、机の上に落ちる。積み重なった吉崎さんの感情のうち、切り離すのは最初の方に吐き出されたごく一部だけでいい。きちんと自分を理解している吉崎さんは、話しながら、感情を理知的に整えているから。整えられた感情には、確かに怒りも絡まっているけれど、それよりももっとたくさんの、従業員への愛情が連なっている。 「ホントに千円でいいの? いつもいつも」  吉崎さんは、いつもいつも、会計の際に心配してくれる。「無資格もぐりの『カウンセラー』なんで」と、いつもいつも、僕はおどけてそう答える。 「まぁた、へりくだっちゃって。町内会でも評判よ、先生は。腕が良くて若くてイケメンって」  僕は曖昧に笑う。吉崎さんは、怒りが少しだけ絡まった愛情を引きずりながら、相談室を出て行った。暖かな色をした感情たちは、工場に着くころには吉崎さんの中に正しく収まっているだろう。 「評判の先生になるつもりはなかったんだけどなぁ」  どこか怪しげな、『都市伝説』くらいの存在であるはずだったのに。僕は天井を見上げ、ため息を吐く。  奥の居室に下がった。窓から夕日が斜めに差し込んでいる。その光の先、戸棚の中の写真立てを僕は無意識に眺めていた。それに気付き、はっとして視線を揺らめかす。一昨日も昨日も今日も、(あおい)は来なかった。ならば明日、葵は仕事終わりにきっとやって来る。僕は浅く息を吐いて、食器棚からグラスを、戸棚から広口瓶を取る。澄み切った青色の欠片。元々は、軽蔑の感情だったものだ。それをグラスになみなみと注いで、一気にあおった。軽やかで冷ややかな生気を自分に取り込めば、少しだけ心が落ち着いた。
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