カウンセラー

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 予感していた通り、翌日には葵がやってきた。いつもの通り、食材の入った袋を手に提げて。「先生、やっぱり不摂生してるでしょ」と笑いながら、彼女は生活感のない台所に彩りを与えていく。僕が食物を摂らずとも生きていけることを葵は知らない。  葵は、狭い室内の小さな机の上に色とりどりの料理を並べていく。肉野菜炒め、じゃがいもとわかめの味噌汁、ひじきの炒り煮、白ご飯。葵が作る料理は、いつだって温かい。僕は葵の料理から安らぎを得ていることを自覚している。そして、それがとても望ましくないということも。 「初ボーナスもらったの」と、食事の片付けをしながら、葵は相好を崩した。葵が濯いだ食器を布巾で拭きながら、「おめでとう」と僕は返す。 「だから週末、お母さんと日帰り旅行に行ってきた」 「楽しかった?」と訊きながらも、答えは既に予想できていた。感情がこぼれる程の言葉でなくとも、葵の横顔が優しく穏やかだったから。予想の通り、葵は頷いた。僕は心の底からほっとして、それと同時に、焦燥感を覚えた。横目でそっと葵を窺う。俯き、睫毛を伏せた彼女は、僕よりも少し年下くらいの見た目だ。 「ねぇ先生。私、もう、子供じゃないと、思う」  その言葉は、まるで僕の心の中を見透かしたかのようだった。食器を拭く手が止まった。葵の方を向くと、彼女は、強い瞳でこちらを見返した。 「そう? 僕にとっては子供だなぁ。だって、小学生の頃から知ってるんだから」  かさかさに乾いた声で発したのは、そんな台詞だった。葵が、明らかに傷付いた顔をする。けれども僕は、気付かないふりをした。「そうだね」と葵が呟いた。僕は何も言えずに、水気のなくなった食器を布巾でこする。葵はそれ以降、何も言葉を発しなかった。 「じゃあね、先生」  玄関先で葵がそう言ったとき、短い言葉の連なりが、感情になった。僕は目を見開いた。葵は微笑み、僕に背を向ける。僕は一歩、足を進めた。けれども葵を引き留めることはできなかった。悲しみの感情を吐き出したのは葵の方だ。傷付いたのは葵の方だ。それなのに、僕の瞳が、涙をこぼした。
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