カウンセラー

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「あの、大丈夫ですか」  声がした。相談室の方からだ。遠慮がちに扉が開いた。扉の隙間から顔を覗かせたのは、一昨日、僕がここに連れてきた青年だ。「すみません、勝手に。その、鍵が開いていたので。……大丈夫ですか」僕を案じる青年は、背広姿ではなかった。僕は不格好に唇を持ち上げると、「玉ねぎを切ったんです」と、明らかに嘘と分かる言い訳をした。「そうですか」とだけ青年は言った。彼が他人で良かったと思いながら、目元を拭い、立ち上がる。  青年と向き合えば、「先日はありがとうございました」と彼は菓子折りを差し出してきた。 「会社を辞めてきました。あなたに話を聞いてもらって、正気に戻りました。会社より、自分の方が大切です」  清々しい顔で、彼は語った。その後に、「カウンセリング代も払います」と言われたけれども、あの日は僕が無理矢理連れてきたので、丁重に辞退する。彼は何度もお礼の言葉を述べた。それは素直に受け取った。やがて言葉が途切れたとき、彼は少し迷うような表情をしたあと、僕に訊いた。 「大切な人ですか?」  彼の目線の先にあるのは、僕が割った写真立て。僕が息を呑むと、「絶対、大切にしてください」と彼は微笑んだ。彼は深く頭を下げて、部屋を出て行った。
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