漂白惑星

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 どれくらい時間が経ったのかわからない。  無線機から声が聞こえる。ノイズが激しい。  俺だってばかじゃない。無線のノイズの一番の原因が磁気嵐だってことくらい知ってる。この激しいノイズはつまり、磁気嵐がまったく収まっていないことを示していて、救援部隊は俺を助けられないってことだ。  まったく聞き取れないのに、無線はいつまでも続く。鬱陶しい。  畜生、こんなことならやつらの助言なんて聞かず、無線機のバッテリーも空調システムの維持に使ってやれば良かった。連絡は重要だの、使ったところで焼け石に水だの、勝手なことばかり言ってやがったが、そのせいで死ぬのは俺だ。俺なんだ。  怒りの感情が沸き上がってきて心拍数が上がる。ダメだ、抑えないと。抑える? 抑えてどうなる? どうせもうダメだ。全部無駄じゃないか。 「――ザッ、ガガガ――こ、えるか......る、か」  無線はまだ何かしきりに伝えようとしてくる。もうやめてくれよ。  最早怒りは引いていた。  いつしか俺は子供だった頃のことを思い出していた。生家があった町のこと、両親のこと。どちらも今はもう存在しない思い出だ。そう考えれば、俺が死ぬことはそれほど悲劇的ではないのかもしれない。俺を失って悲しむ家族はないし、恋人も親友もいない。この、どことも知れない真っ白い惑星で、俺はひとりぼっちだった。  それならいいか、と思いかけたそのとき、音が聞こえた。  カサカサ。  このいつ終わるとも知れぬ船内生活の間ですっかり聞き慣れてしまった音。  そうだ。  違う。  この宇宙船の中で、俺はひとりじゃなかった。  ハツカネズミ。目的地の惑星で実験に使用するつもりで連れてきた実験動物がケージの中でまだ生きていた。そいつは自分の身にどんな危機が迫っているかも理解できないまま、狭いケージの中を這い回っている。  近いうち、俺の道連れになるであろうそいつのことを俺は無性に哀れに思った。元々実験に使うつもりだったとか、そんなことは今となってはもうどうでもいい。この巨大な棺桶の中で俺とネズミに何の違いもない。どちらも生きていて、やがて死ぬ。それだけだ。  それでいいのか? どうせ死ぬにしても、こんな閉ざされた空間の中で死ぬことをこいつは本当に望んでいるのだろうか。どうせなら、この宇宙船の外、その毛並みと同じように白く、どこまでも純潔な世界の中で死ぬ方が幸せではないだろうか。  これは俺のエゴだ。動物の気持ちなんてわからない。でも良いだろ? どうせ死ぬんだ、やり残しは無しにしたい。  俺はベッドから起き上がるとケージの鍵を開け、ネズミを取り出した。そいつを不要物搬出用のハッチに入れると、コンソールを操作して――いや、ダメだ。電源がない。ハッチを動かすにもエネルギーが必要だ。無駄な足掻きだったか。  いや、違う。バッテリーならあるじゃないか。ごちゃごちゃ鬱陶しいやつが。  無線機を解体してバッテリーを取り出す。それを船体の予備電源に接続すると、一時的に船内の機能が復活した。とはいえ10分も保たないが、それだけあれば十分だ。  コンソールを操作して、起動。ネズミは外界に放り出された。外の環境についてはまったく不明。おそらく9割9分地球の生物が生存できる環境ではないだろう。それでも、こんな薄暗い宇宙船の中で死ぬよりはましだろう。俺は満足感を感じていた。  さて、もう十分だ。そう思ったそのとき。  窓の外に奇跡を見た。  真っ白い世界。不時着してからこれまで、まったく変化のなかったその世界に、確かに動くものがある。今外に出してやったハツカネズミだ。生きている。  白い地面に紛れて白い毛皮は分かりにくいが、見間違いではない。  外の世界は生き物が暮らせる環境なのだ!!  信じられない。この広い宇宙で偶然不時着した惑星が地球生物の生存に適した星だったなんて、考えもおよばなくて自然と検証を放棄していた。けれど、奇跡はずっとすぐ傍にあったのだ。怯えて、閉じ籠っていたせいで気づかなかったけれど、外には少なくともハツカネズミが生存できるだけの綺麗な空気が存在している。  外に出なければ。俺は反射的に船内エネルギーの残量を確認する。ダメだ、船体扉を開閉するだけのエネルギーは残っていない。  ならば手動で開くしかない。俺は扉に飛び付くと、渾身の力で開閉器を動かし始めた。船内の酸素が薄くなっているせいか、体に力が入らない。気を抜けばこのまま失神してしまいそうだ。俺は歯を食い縛って力を込める。やがて、少しずつ扉が開き始めた。  途端に新鮮な空気が船内に流れ込む。その空気からは微かに甘い香りがした。  扉が完全に開くと、その勢いのまま俺は船外に放り出されてしまった。ぶつけた背中が少し痛むが、そんなことは気にならない。  俺は助かったんだ。  純白の星の空気をめいっぱい吸い込んで、俺は高らかに叫んだ。
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