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13.
人が行きかう病院の白い廊下をもどりながら、僕は隣でのんびり歩く湯浅さんへと目を向けた。
「湯浅さん」
「何だい?」
僕が笑香の病室を出るのに今回はさほど湯浅さんを手こずらせなかったせいか、僕に機嫌よく聞いて来る。
「事件の後、一時的に目を覚ました僕に、たしか湯浅さんは言いましたよね。──『笑香はちゃんと生きている』と僕に教えてくれました」
「ああ。あの時ね」
湯浅さんがあからさまに目を泳がせる。
やっぱりか。僕は続けた。
「あの時、湯浅さんは笑香の厳しい状態を知っていて、僕に嘘をつきましたね」
からかうような僕の口ぶりに、湯浅さんは今度は上へと視線を向けた。
「……何のことだい? 僕にはさっぱりわからないよ」
本当に湯浅さんは嘘が下手くそだ。
「もうこれからは、湯浅さんの言うことを信用しないことにします」
僕は笑って湯浅さんに宣言した。
廊下の先に目をやって、足早に歩く看護師達の姿をながめる。僕は再び気になっていたことをたずねた。
「僕が病院に運ばれた時、湯浅さんはすぐに僕の所に来てくれたんですか?」
たしかあの時の湯浅さんは、笑香のおばさんや弁護士と共に事件の対処を行っていて、それだけで手いっぱいだったはずだ。
湯浅さんは不思議そうな顔をした。
「いいや。僕が史郎君の病室に行ったのは、社長と交代してからだよ。それまで社長がずっと史郎君のそばについていた。──それが何か?」
「いいえ」
僕は答えた。
それでは。
あの時錯乱しきった僕を、ずっと抱きしめていてくれたのは……。
僕は小さく肩をすくめた。
仕方ない。自分の秘書である湯浅さんを僕にそのまま残してくれて、笑香達の家族に対する様々な援助の件もある。長野で同居を始めたら、食事くらいは出してやる。
笑香の家を買い取る話が正式に決定した後で、僕は自分の父親が遺産相続の話し合いの際、がめつい親族に譲歩する代わりに僕達の家に関する事柄を各方面に認めさせていたことを、湯浅さんに教えてもらった。
そして僕は年明け前に、まるで追い出されるような形でセバスチャンと退院した。
*
新しい年を迎えると、僕は湯浅さんにねだって毎日笑香の病院に通った。いい加減あきれはてている看護師達の様子を尻目に、僕は残りの短い日数を病室の笑香と共にすごした。
笑香の退院はまだ先だが、この病院を退院し次第、勇人と共におばさんの旧姓を名乗る手はずになっていた。
「──美優がね。電話してくれたの」
僕を一人で病室に残し、「後で迎えに来るから」と看護師達の冷たい視線に湯浅さんが退散すると、ただ鉄面皮で押し通す僕に笑香が笑ってそう言った。
「大西が?」
僕は大きく眉尻を上げた。
「そう。前みたいに『元気?』って。……多分、全部知ってるんだと思うけど、まるで何もなかったみたいに私に連絡してくれて。美優は? って聞いたらあいかわらずだねって笑ってた。今、新しい学校を受け直すために受験勉強してるんだって。春になったらまた会おうよ、ってすごく楽しそうな声だった」
女同士の友情に僕は心底感嘆した。
僕にはとても理解できない。全く不可解ではあるが、どこかうらやましくもある。
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