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 午前七時五十分。  僕が門の前に立つと、今日から夏服になった君が玄関から顔を出した。白地に紺のラインが入った、清楚なデザインのセーラーカラー。えんじ色をしたスカーフが笑香(えみか)の笑顔によく似合う。 「おはよう。今日も時間ぴったりだね」  肩で切りそろえられた髪をゆらしながら、君は明るく僕に言う。カバンを右手に持ち直し、僕は満面の笑みで答えた。 「おはよう。あれ、勇人(ゆうと)は?」  本当は知っている。小学生の君の弟は、もう三十分ほど前にあわてて家を出て行った。今日はサッカーの朝練があるから、七時半までに小学校の校庭に集合しなければならない。  門へと続く階段を一歩で軽くとびこえて、君は僕の目の前におりた。  風圧で紺のスカートがめくれ、わずかに白い太腿が見える。動揺を微笑で押し隠し、僕は低い門ごしに笑香の明るい笑顔を見つめた。  柿崎(かきざき)笑香。僕の大切な幼なじみ。 「ほら、もうすぐ少年サッカーの地区大会があるでしょう? その朝錬が七時半からだって、七時二十分に出て行ったのよ」  僕を見上げる黒目がちの瞳。ととのった眉を軽くひそめて、弟の心配をする笑香。とがらせたその唇がかわいい。 「だから昨日は早く寝なさいって言ったのに。ずっとテレビを見てるんだから」  それも僕は知っている。ピンクのパジャマ姿の君が、リビングにいた弟に「早く寝ろ」って怒っていた。  僕は微笑みをたやさずに門のかんぬきに手をかけた。ここのかんぬきは回りがしぶくて、毎回僕をいらだたせる。 「史郎(しろう)君、今日もやっぱり門に嫌われてるね」  何か簡単なコツがあるのか、かたいかんぬきをあっさり開けると笑香は柿崎家の門を開いた。 「あ、家庭教師の件ね、お母さんがまだいいって。勇人はまだ二年生だし、だいたい今は勉強なんかよりサッカーの方に夢中でしょ。今無理やり勉強させても身につかないってあきらめてたわ」  笑香はよく笑い、よくしゃべる。そのよく動く黒い瞳でいつも何かを見つけ出す。   「そう」  僕はうなずいた。まだ、あせらない。そのうちにすべて僕の思い通りになるだろう。 「史郎君はもうサッカーしないの? 須藤(すどう)先輩にもさそわれてたじゃない」  笑香の無邪気な問いかけに、僕はくすりと笑って見せた。  冗談じゃない。君に会っている時間が少なくなるじゃないか。義務だった部活動が終わって、やっと君のそばにいられるのに。 「高校では勉強に専念したいからね」    僕が答えると、笑香は頬をふくらませた。 「もう十分よ。中間テストは一番だったんでしょう? それに美優(みゆ)の話だと、真下(ましも)先生が生徒会役員に史郎君を推薦するって。まだ一年生でも十分見込みがあるからって」  僕は思わず苦笑いをした。優等生の僕の仮面はどうやら高校でも通用しそうだ。 「僕はそんなに器用じゃないよ」  僕が言うと、笑香は不意にうつむいた。 「史郎君がほめられてるのを聞くのはうれしいんだけど、ちょっとさみしい気もするの。なんだか、ずいぶん遠くなっちゃったような気がして。昔はいつもそばにいたのに……」
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