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僕は静かにカップを置いた。
せめて、笑香が食べ終わるまでは待とうと思っていたのだが。僕は笑香の瞳を見つめた。長いまつげが不思議そうにゆれる。
「今日、同じクラスの新保に、君が好きだから紹介してくれって言われた」
笑香は大きな黒い瞳をさらに大きく見開いた。どうやら、言葉も出ないようだ。
「──わ……私」
やっとのことで出した言葉を、笑香はのみ込んで目を伏せた。
「……史郎君は、なんて言ったの」
僕は微笑んだ。そんなこと、決まってるじゃないか。
「断ったよ」
「どうして」
間髪を入れずに言ったその顔は、大きな緊張とかすかな期待でどこか張りつめているように思えた。
「聞きたい?」
僕がたずねると、笑香は深くうなずいた。僕はこぼれる笑みをかくせず、もう一度だけ微笑んだ。
笑香。僕は、君がそばにいればいい。
「人殺しの親を持つ君を、紹介なんてできないよ」
笑香の黒い双眸が、極限まで見開かれた。
「……え」
こわばった笑香の表情に、僕はくり返し口を開いた。
「君のお父さんは、人殺しだって言ったんだ」
僕は唇の端を完全に、笑いの形につり上げた。これでとどめだ。
「君の父親が、僕の母親を殺したんだ」
*
なんて快感だ。
夢にまで見た瞬間が、今この場所で現実になっている。心の底からわき上がる歓喜に僕は背中を震わせた。
「今……なんて……」
凍りついた笑香の瞳が、僕に釘づけになっている。僕は起爆寸前の興奮を押しつぶすように続けた。
「勇人が生まれる少し前から母さんとおじさんは会ってたんだ。君は知らなかったのか? 僕らが一緒に遊んでる間、非番のおじさんがこっそりうちへ行ってたのを。──ずっと父親が家に帰らなくて、母さんは不満だったんだ。おじさんの方はおじさんで、勇人のせいでおばさんが入院したりしてたしね。欲求不満もあったのかな、ストレスのたまる職業だし」
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