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 悲鳴にも似た笑香の声に、僕は勝利を確信した。 「やめて……」  頬をつたった笑香の涙がテーブルの上にこぼれ落ちる。僕は静かに笑香に告げた。 「何も泣くことはないよ。僕の言うことを素直に聞いてくれればいいんだ」  椅子を立ち、僕は冷めてしまった自分のコーヒーを入れ直した。 「どうして……?」  すすり泣きながら、笑香が同じつぶやきをくり返す。どうして、どうしてと。僕は再びテーブルにもどると笑香のカップを取ってたずねた。 「何が『どうして』なんだ?」  こんなに簡単なことなのに。  カップに新しいコーヒーを作って、笑香の前に出してやる。笑香はぽつりとつぶやいた。 「──史郎君のことが好きだった」  憔悴しきった小さな響き。 「優しくて、いつもそばにいてくれる史郎君が好きだった。朝、手をつないでくれたでしょう。本当にうれしかったのに……!」 「それじゃだめなんだ」  僕は激しく切り捨てた。 「そんな思いはすぐ変化する。いつも優しい僕でいたって、君はそのうち気持ちを変える。心変わりをされるくらいなら、憎まれてもいい、君を縛るよ。絶対に僕から逃げられない、確実な方法でね」  白くなるほど握られた拳に、僕は自身の手のひらを重ねた。逃げようとする指先をとらえ、強引に握りしめる。 「僕の言うことを聞くか、自分の家族を見捨てるか。──どうする?」  笑香は僕から視線をそらした。僕はただ、静かに笑香の答えを待っていた。  しばしの重い沈黙の後、低くため息とともに答える。 「……好きなようにすればいいわ」  うつろな瞳に光は見えない。僕は、自分が笑香の光を奪った事実に満足した。  これでいい。これで、何があっても笑香は僕から離れない。  僕は満面の笑みを浮かべた。 「僕とつきあってくれるね」  うつむくように笑香がうなずく。握りしめていた指を離すと、笑香は僕の手を振り払った。  僕は苦笑いして言った。 「今日はもう帰ったほうがいい。おばさんが心配するからね。いくら親しい幼なじみでも限度ってものがあるし」  ここでおばさんの機嫌をそこねてはもとも子もない。 「明日はおばさんの言うとおり、夕飯を食べに僕が行くよ。そうおばさんに伝えてくれ」  立ち上がる笑香につけ加えると、笑香はぷいと顔をそむけた。僕は静かに、低い声音で言い渡した。 「君のそぶりで、おばさん達が不審に思うことのないようにね」  暗い瞳で僕を見上げ、笑香は無言で背を向けた。そのままキッチンを出て行く。  笑香のスリッパの音が小さくなった。玄関のドアが開いて、閉まる。  無人の部屋でひとり笑うと、僕はカップを片づけ始めた。
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