1.ドレスの青年

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 確かにアキちゃんは優しい。声を荒げたことは一度としてないし、腹を立てるそぶりすら見せたこともない。他人の意見を否定せず全て受け入れ、終始平和に過ごすことをモットーに生きているように見える。その気遣いは私に対してだけじゃなく、誰に対してもなのだけれど……。 「ねぇ、アキちゃん。自分でも、そう思わない?」  私とヨウタとの掛け合いを悠然と聞いていたアキちゃんは、好物のモスコミュール入りグラスからのそりと顔を上げ、とんちんかんな答えを返してきた。 「『エデン』って、ヨウタの源氏名?」 「もぉ、アキちゃん。話、聞いてたぁ?」  ヨウタが腹を抱えて笑い転げるまでが、よく練られた三人組のコントのような展開で、初対面と思えないほど自然な流れだった。  私とアキちゃん、アキちゃんとヨウタ、ヨウタと私。ボケとツッコミが、バランスよく配分されている。こうなることも全て計算の上で、アキちゃんはヨウタを私の元へ連れてきたのかもしれない。 「何、オレが『エデン』になるの?」 「もういいよぉ。アキちゃんには、ショボいビデオ屋がお似合い!」 『穏便に過ごすためなら笑われてもいいし、騙し騙されることも多少は必要でしょ』  一緒に暮らし始めて間もない頃、そんな一言をアキちゃんは漏らしたことがある。『笑われること』と『騙されること』が、なぜ同等のこととして扱われているのか、いまだによく分からないのだけれど。 誰とでも公平な距離を取るように努めようとする彼なりの優しさであり、(すべ)なのかもしれないと、私は分かったような振りをしていた。後に明らかになる事実も知らずに。  しつこいくらいに被せてくるアキちゃんのボケを仕込みの観客ばりに笑い倒していたヨウタは、最終的にはベンチ椅子から転げ落ち、生まれたての子鹿のように震えていた。 「アキちゃん、最高! 愛してる!」  従順な家来のように、あるいは飼い慣らされた忠犬のように、温和なアキちゃんにだけは懐いてしまっている問題児のヨウタ。 ━━アキちゃんは、同性のハートを射止めることさえ朝飯前。  気楽な感想を携えながら、勤務中にも関わらず私はグラスに入った焼酎をこっそりと口に含む。その味は真水のようで、まるで酔えなかった。
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