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厭な汗をかいた。 昼間のことを思い出し、アレックスは深く息を吐いた。 夕食後、食堂を出ると、夜が更け真っ暗になった窓にはやや疲れた風情の男が映っている。 らしくない。と慌てて自らを鼓舞する。 いけないいけない。ヘーゼルは純粋に疑問に思ったことを聞いてきたに違いないのに、先日のメイドたちの話を思い出すから深読みしてしまうのだ。 よし、と心持ち新たにして、自室へ向かう。今夜は早めに寝て、気持ちを切り替えよう。 すると「アレックス様」と背後から彼を呼び止める声が掛かった。 振り返ると、気遣わしげな表情を浮かべたメイド長が立っていた。 「お食事中より、お顔色が優れないようでしたが…。具合でも悪うございますか?」 「お気遣いありがとうございます。少し疲れが出ただけですので大丈夫ですよ」 「そうですか。何かあればなんでもお申し付けくださいませ。わたくしどももアレックス様には感謝致しておりますから」 何かしただろうか、と首をひねったところでメイド長が続けた。 「ヘーゼル坊ちゃんの車椅子でございますよ。重量物でしょう。わたくしども女手ではどうしても力不足ですし、執事も年嵩の者ばかりですから、悩みの種だったのですが、アレックス様のおかげで大変助かっております」 「ああ」と納得した。 流行り病から目覚めたヘーゼルだが、眠っている間に落ちた筋力はすぐには戻らず、今は車椅子生活だ。 彼のため部屋はもともとあった2階から1階に移したという。 部屋を階下に移したとはいえ、世話をする人間からしてみれば少しの段差を乗り越えるだけでも重労働なのだ。若い男手は助かるだろう。 「私は家庭教師として坊ちゃんによくお仕えするために当然のことをしているだけですよ」 「ありがとうございます、アレックス様」 では、と踵を返しかけたところで「ひとつ教えてください」少し気になっていたことを聞いてみる。 「以前にメイドさんたちより、この地に伝わる魔女の伝承をお聞きしたんですが、元になったお話しをご存知ですか?」 「あれは…」 それまでにこやかだったメイド長が俄に顔を強張らせる。 「この村では有名なお話だそうですね。長く語り継がれるおとぎ話があるとはさすが名門のシンプソン家です。私もこの村にいる以上、成り立ちも知っておきたくて…」 「---本当のことなのです」 え、と小さな声が漏れた。辺りを見渡し誰もいないことを確認したメイド長が繰り返した。 「実際にあった話なのです」 「そんなこと…」 荒唐無稽な話を、と言わんばかりのアレックスに、メイド長が言った。 「わたしの曾おじい様もシンプソン家に執事として長く働いており、書物の管理も任されておりました。その曾おじい様から聴いたことですが、過去、この地には確かに私たちの祖先に当たる開拓者以外の何者かがいたのだそうです。かつて森が広がるばかりであった地に棲む何かが。彼らと争い、私たちはこの地を得たと」 「それが魔女だと…?」 「わかりません。けれど、シンプソン様がこの地を王より頂いたのも魔女を退けたからだと言われているんです」 ----先生は信じますか? 高い子どもの声がアレックスの耳に蘇った。
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