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その時、ふ、と前髪を揺らす微風に気付いた。 「すきま風…? まさか、貴族の屋敷に…?」 平民の家ならいざ知らず、財のある侯爵が住む邸宅に欠陥があるはずもないのに。 風の吹く出処を探りながら、アレックスは焦りに逸っていた呼吸が落ち着いていくのを感じた。 部屋の窓は嵌め殺しで開けることは叶わず、唯一の部屋の出入口も今晩とてアレックスが扉の前で張り付いていた。正攻法では部屋から脱け出すことは叶わない。 そうだ。もしヘーゼルの身に何かあったとしても、はたまた彼自身の意志であったとしても、この部屋からどうやって脱け出すことが出来たのかを解き明かさなければヘーゼルのもとには辿り着けないのだ。 今感じた隙間風を反芻する。 ひとつ、考えられる可能性がある。 この部屋には抜け穴があるのではないか。 確証があるわけではない。現に、一向に風が吹いているような所を見付けられない。 だが、こういう時の勘は当たるのだ。いざという時、そうやって自分は切り抜けてきた。 灯りを付けようにも屋敷の誰かに怪しまれてしまうため、開け放されたカーテンの向こうから差す月明かりだけを頼りにするしかないのが辛い。 思い出せ。誰よりもヘーゼルの側にいたのは自分なのだ。今までの彼との関わりの中に何か手掛かりがあるはず。 車椅子。黒い犬。窓辺。庭。 野薔薇…。 ----お庭を見ていたんです。お母さんの好きな野薔薇が咲いているから… どうして今ヘーゼルのその言葉を思い出したのだろう。 窓辺を見遣る。 子どもはいつも同じ場所から外を眺めていた。 窓辺に近付く。 桟に手を付き夜に沈む庭園を眺め、振り返って気付いた。この位置からだと、入口の扉からは死角となった柱の影がない。部屋が一望出来るのだ。 もし…。 アレックスの脳裏に閃くものがあった。 もしも、ヘーゼルが見ていたのが、部屋の外ではなく、“内”だったとしたら---。 開け放たれたカーテンの向こう、広がる夜空に揺蕩う雲が流れ満月が顔を見せた。 あっ、とアレックスは思わず声をあげた。 灯りのない暗い部屋に細い光の筋が現れた。今まで目を皿にしてくまなく部屋を歩き回っていても何も見付からなかったのに。 月明かりが何かに反射しているのか。 光が漏れている所…暖炉へ歩み寄る。 灰も木片もない綺麗な暖炉だ。暖炉を使うような季節ではないから綺麗なのではなく、おそらく暖炉自体が使われていない。 その奥の方からうっすらとした光が漏れている。 しゃがんで覗き込むだけでは暗くてよく見えない。アレックスは膝をついて暖炉の中に入り込んだ。 暖炉の内部に目を凝らした時だった。 どん、と背後から思い切り尻を押される。 「は…っ!?」 予想だにしない衝撃を受けて前につんのめる。バランスを取ろうとした手が暖炉の壁について、 ----簡単に外れた。 「はあ…!? え、うわっ…」 後はもう重力のなすがまま。 現れた穴に転がり落ちていく最中、長く尾を引く自らの悲鳴に紛れて、鈴を転がすような笑い声を聴いたような気がした。
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