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部屋の中では、アレックスを呼んだ主が静かにカップを傾けていた。
勧められ向かいのテーブルに就くと、しなやかな手がカップを差し出してきた。カップの中には女が手ずから注いだ紅茶がゆらゆらと揺れている。
「ヘーゼルくんにお付きしてちょうど一週間経ちましたが、如何です?」
「いいえ、取り立ててご報告するようなことは何も。良く出来たご子息ですよ」
「家庭教師はいらないほど?」
「よく御存知ではありませんか」
「ふふ、丸ばかりの採点は退屈でしょう」
柔らかな声、女はそれに似合った穏やかな表情を浮かべている。
豊かな髪には艶があり、肌にはシミひとつない。姿勢は美しくぴんと伸びている。老齢の淑女のような佇まいでありながら妙齢の女のような艶めかしさもある。アレックスは初めて対面した時から、この女が齢いくつなのか皆目検討がつかなかった。
人々から「司祭様」と呼ばれる彼女は、王都から派遣されてきた名誉ある教会のシスターだ。
そして、虫の命も尊び殺さないでいそうなこの女こそ、幼げな子どもを監視するようアレックスに命じているのだ。
「そこまで御存知であれば、私が報告するまでもないかと思いますが」
アレックスの声に滲んだ反感を悟ったのだろう。傾けていたカップを音もなくソーサーに戻し、シスターが黒の繊細なレースのショールを揺らしてアレックスを見た。
「貴方の言いたいことはわかりますよ。愛されるべきあんな小さな子どもの行動を多くの目で観察している…、正気ではない、そうお思いでしょう」
「観察? 監視のお間違いではありませんか?」
「どちらでも。好きにとって構いませんわ」
あなたにとってはどちらも同じ意味でしょうから、と続け、憂えるように目を伏せた。
アレックスはテーブルの上を見た。
机上にはティーセットの他に何枚もの書類が乗っていた。
そこには、ヘーゼルが何時に何処で何をして、何を言ったかが記されている。
まるで、看守が囚人の動向を記した監視の記録だ。
事実、これは監視に他ならない。
監視の任に就いたとはいえ、アレックスはまだ受け入れられないでいる。
とても正気の沙汰とは思えない。
だってまだあんなに小さな子どもだぞ。
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