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鈴音は志貴を抱え、万叶池に到着する。
「おーい!」
背後からの声に振り返れば、正義が高齢とは思えない足取りで駆けてきた。我が祖父ながらあっぱれだ、と感心してしまう。
「おじいちゃん、楓ちゃんは帰ったの?」
「おぉ、帰ったぞ」
「……すごくいい子でしたね」
志貴の言葉に二人は頷く。
楓は本当にいい子だ。そして、明るく、聡い。楓自身を知ってしまった今、本気で願いを叶えてやりたいと思う。
「それにしても……志貴、お前はどうして鴨だったんじゃ?」
「何言ってるの、おじいちゃん? 今から……」
「それはわかっとる! 鴨の姿になるのは、ここでええだろうに」
正義に指摘され、あ、と思った。
「そういえば、そうだよね」
今まで疑問に思わなかったのが不思議なくらいだ。
志貴とは鳥居の前で待ち合わせたのだが、来た時はもちろん志貴自身の姿だった。しかし、すぐに鴨の姿になったのだ。
「万叶神社に対する僕の役割を考えたら、入る時にはもう神使でいなきゃいけない気がしたんだ。もちろん、普通に神社に来る時はそのままで来るけど」
今日は願届人として来たから、というわけか。
「ええ心構えじゃな、志貴」
「ありがとうございます」
「お前も見習わんといかんぞ、鈴音」
「はーい」
いつもなら口を尖らせるところだが、ここは納得せざるをえない。
鈴音は背筋をシャキンと伸ばす。
「それじゃ、行ってきます」
「宮司さん、行ってきます」
「おぉ、頼んだぞ」
鈴音は注連縄を越え、池のほとりに立つ。もうこの間のような恐怖はない。腕の中に志貴がいることが何より心強く、安心できる。
鈴音は一呼吸置き、勢いよく地面を蹴った。
バシャンッ!
二人が池の中に入る音が一瞬だけ響き、水が跳ね、波紋が広がっていく。しかしすぐに元どおりの静かな池に戻った。
それを見届け、正義は穏やかな笑みを浮かべる。そして、神社での仕事をするべく、社務所の方へ向かってのんびりと歩いて行った。
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