星明かりの箱庭

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星明かりの箱庭

 あなたの前に、白い廊下があります。  ずっと遠く、先まで続いているようです。  あなたの左手側は、一面ガラス張りになっています。  外の景色は、白く濁っていて見えません。  光が差し込み、明るさを感じます。  右手には壁が続いています。  振り返ると、この廊下が一本道であることがわかりました。  前にも後ろにも、真っ直ぐに廊下が伸びています。  あなたは道なりに進むことにしました。  歩み進めると、右手の壁に、一枚のプレートを見つけました。  白くのっぺりとした、質素なプレートです。  何も書かれていないようです。  隣には扉があります。  ドアノブを捻ると、そこは会議室のような部屋でした。  白い長机が、ロの形になるように配置されています。  椅子は、机で囲われた中央に、ひとつだけあります。  背もたれのない、白いシンプルな椅子です。  壁は一面ホワイトボードのような素材で出来ているのか、ツルツルしています。  部屋をぐるりと一周したあなたの足に、コツリ、何かが当たりました。  拾い上げてみると、印字も何もない、白いマーカーのようです。  インクも白く、乾いているように感じます。  あなたはマーカーを持って行くことにしました。  部屋を出たあなたは、廊下を真っ直ぐ進みました。  しばらく歩くと、突き当たりに白い扉が見えます。  あなたは会議室と同じように、ドアノブを捻りました。  そこは、薄暗い書斎のようでした。  先ほどまでの殺風景さとは一転、床に本が雪崩れ、インクはひっくり返り、雑然としています。  一際目を引く執務机に、天球儀が置いてありました。  金属の輪が幾重にも重なった、年代を感じるものです。  あなたは天球儀を回してみました。  けれど、知っている星座を見つけることができません。  扉から直線上に位置する窓に、分厚いカーテンが引かれています。  あなたがカーテンを開けると、部屋の明度がいくらか上がりました。  窓は出窓になっており、窓辺にはチェス盤が置かれています。  しかし、駒は乱雑に置かれ、倒れているものもあります。  あなたはチェス駒を手に取りました。  裏返すと、『歯』と書かれています。  ハッとしたあなたは、窓枠を調べました。  木製の窓枠には、『唇』と彫られています。  カーテンを広げると、『横隔膜』と小さく刺繍されていました。  チェス盤は重たくて持ち上がりませんでしたが、マス目が『口』のようにも見えました。  ――天球儀を調べますか?  天球儀はずしりと重たく、『心臓』の文字がありました。  部屋の隅に、柱時計があります。  振り子は止まり、時計の針も動いていないようです。  ふと、あなたは文字盤の中央に、ゼンマイの差し込み口を見つけました。  ――部屋を探しますか?  部屋は雑然としていて、パッと見ただけでは、小さなゼンマイを見つけることはできません。  ――執務机の引き出しを開けますか?  一番上の引き出しは鍵がかかっていて、開きません。  真ん中の引き出しからは、眼鏡拭きが見つかりました。  一番下の引き出しには、『肝臓』の文字を見つけました。  天井には電球がふたつあります。  よく見ると、それぞれ『眼球』と焼きついていました。  上を見ていたあなたは、カーペットに足を取られ、つまずきました。  めくられたカーペットの裏には、『皮』と乱雑に殴り書きされています。  ――本を調べますか?  あなたは本棚から、『はじめてのチェス』という本を見つけました。  本の通りにチェス駒を配置すると、カタン、どこかから音がしました。  あなたは足元から、『ほしのみかた』という本を見つけました。  表紙を開くと、あなたの知らない星座ばかりが載っています。  星を探そうと、あなたは天球儀を回してみました。  ギギギ、動かす度に、調子の外れたオルゴールの音がします。  天井の電球が、ゆるく明滅しました。  あなたは『ほしのみかた』に記載された周期通りに、天球儀を回しました。  オルゴールが鳴ります。  橙色を帯びた、部屋の明かりが灯りました。  同時に、バチンッ! 扉の外から大きな音がしました。  驚いたあなたは、部屋の外へ飛び出ました。  すると、廊下から日差しは消え去り、夜の闇が広がっていました。  明るい中では見えなかったのでしょう。  廊下の壁、床、天井に至るまで、おびただしい量の星印が、真っ白な光を発しています。  窓の向こうを、箒星が通り過ぎました。  青白く燃える尾は眩しく、あなたの目を眩ませます。  箒星は、廊下の反対側へ飛んでいるようです。  あなたは星明かりの中、廊下を進みました。  廊下の突き当たりには、会議室と同じように、のっぺりとしたプレートが掲げられていました。 『第四倉庫』と書かれています。  あなたは扉を開けました。  埃っぽいにおいがします。  部屋の中央には、映写機が置かれていました。  左の棚には、ラベルの貼られたフィルムが並んでいます。  右には火の消えた燭台と、一人掛けのソファがありました。  ソファの上に、『次の上映』と書かれたフィルムが置かれていました。  あなたはそれを手に取り、映写機に取りつけます。  カラカラ、映写機が回ります。  白い壁に映し出された映像は、月が満ちて、欠けていく様子でした。  ボッ、背後で音がしました。  燭台に火が灯っています。  カラカラ、回る映写機がフィルムを巻き上げます。  上映が終わりました。  部屋が明るくなりました。  あなたは棚に、月の模型があることに気がつきました。  まるいお皿のような、白い月です。  月の模型へ手を伸ばしたあなたと、わたしの手が触れ合いました。  あなたは驚き、月の模型を落として割ってしまいました。  月の破片を拾ったあなたは、急いで部屋を出ました。  そのまま、会議室へ向かいます。  会議室は、机のあった位置に白く光る川が流れ、眩しいくらいの光に満ちていました。  水は時折虹色に瞬き、蛍のように光を揺蕩わせています。  しばらくぼう、としたあなたは、壁一面のホワイトボードに星座が描かれていることに気がつきました。 『あくびをする人魚座』 『魚を釣るイワシ座』 『カサを差すアナグマ座』  ・  ・  ・  どれもあなたの目には、でたらめに映るものばかりです。  不格好な文字が、ホワイトボードの上で星座を紹介します。  あなたは足元に、『ほしのみかた』の本があることに気がつきました。  あなたは思い出します。  書斎で見かけた、あの本だと。  本を手にしたあなたは、中を開きました。  先ほど読み飛ばしたページに、グラスの絵が描かれています。  あなたは文字を目で追いました。 『  水を汲みます。  星を落とします。  月を溶かします。  水面にあなたの名前を綴ります。  夜明けの時刻に、それを飲みます。  心音に帰ります。  かえります。  』  あなたは前を向きました。  中央の椅子に、グラスが置かれています。  けれども川が立ち塞がり、歩いてはいけません。  あなたはホワイトボードの中に、星座以外の文字を見つけました。 『はしのかけかた』  そこには、マーカーで川に線を引く絵が描かれてありました。  あなたは拾ったマーカーを取り出し、橋を架けようとします。  しかし、インクがありません。  あなたは思い出します。  書斎の執務机に、インクがこぼれていました。  あなたは書斎へ駆け込みました。  書斎では、天球儀がギィギィ回り、オルゴールの音を響かせています。  ふとあなたは、天球儀に不似合いなゼンマイがささっていることに気がつきました。  引き抜くと、オルゴールとともに、天球儀の動きが止まります。  あなたは机に滴るインクに、白いマーカーの先を浸しました。  透明に湿ったそれは、マーカーとして機能しそうです。  会議室へ戻ったあなたは、床に屈んで、白く光る川に線を引きました。  不思議なことに、透明な線が光の流れを阻みます。  あなたの身体は、川に沈むことなく椅子の元まで渡り切りました。  グラスを手にしたあなたは、川の水を汲みました。  流れる水は薄氷のような冷たさで、あなたの指を凍えさせます。  グラスで踊る水たちは、キラキラと光を巻き上げ、虹色をまき散らしました。  ホワイトボードへ近寄ったあなたは、マーカーで星を描きました。  透明な線でできた星は、コロリと足元に落ち、高く澄んだ音を響かせます。  あなたはそれをグラスに入れ、次に月の破片を入れました。  星はカラカラとグラスに当たり、月はホロホロと水に溶けていきます。  あなたは、グラスの水面に名前を綴りました。  星明かりに照らされたあなたの名前はとても美しく、わたしはあなたの名前を心に刻みました。  さあ、あとは時刻を合わせるだけです。  ゼンマイを固く握ったあなたは、書斎の柱時計の前に立ちました。  文字盤へ差し込んだゼンマイが、ギイギイ巻かれます。  久方振りに、柱時計が動きました。  あなたはグラスを構え、一気に星を飲み干します。  ゼンマイを巻いたあなたは、もう気がついてるでしょう。  コツ、コツ、一定のリズムをもって刻まれる、振り子の音に。  ――柱時計の扉を開いたあなたを、わたしは見送りました。
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