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第12話 7月22日(2)
『Avalon』の扉を開けた友人は、振り返ると後ろにいた私に崩れるように寄り掛かった。
彼女の肩は小刻みに揺れている。
突然の彼女の行動に驚いて視線を扉へ向けた。
瞳に映ったのは、内側から古い扉を支えている羽黒だった。
私は彼女の行動の理由を理解して笑う。
「…どうかなさったんですか?」
羽黒は不思議そうに首を傾けた。
「いえね、さっきまで羽黒さんがいればいいのになーっていう話をしてきたの」
クスクスと楽しそうに笑う彼女は正直に羽黒に説明をする。
それを表情の薄い顔で聞くと、彼は「そうですか」と一言だけ答えた。
席に通されると、彼女はわざとらしく驚いたように羽黒の顔を見る。
「あら?羽黒さんってば、眼鏡どうしたんですか?」
羽黒はきょとんと表情を固めた。
「何か、”絶対”かけたくない理由でもあったのかしら?」
彼女の言葉に羽黒は漸く合点が行ったようだ。
ゆっくりと彼の視線がこちらに向く。
目を細めた彼は、いたずらっ子のような表情で唇を曲げる。
「…話しましたね?」
「……えぇ、まぁ」
悪いことをしたつもりはないが、何となくバツが悪くなって視線を逸らしながら答えた。
彼の視線を痛いほど感じる。
だが、それを真っ向から受ける気力はなかった。
「私はどっちの羽黒さんも素敵だと思うけど」
「ありがとうございます」
彼女の発言で視線が逸れた。
小さくホッと胸を撫で下ろしながら膝に置かれた布ナプキンを眺める。
注文を終えて羽黒が席を離れると、彼女と視線がかち合った。
思わず、お互いに声をあげて笑う。
「ふふふ…あははっ。私、凄くないですか?やっぱり持ってますねぇ♪」
「いやもう…貴女の強運には参りますね。笑っちゃった。ホントびっくり」
グラスに注がれた水を飲む。
それを見ていた彼女は含んだような笑みを浮かべて頬杖をついた。
「でも、今日来れて良かった♥貴女の話、私の彼の印象とだいぶ違っていたんですけど、今のやりとりで納得です。あんな風にいたずらっ子みたいな顔する彼、初めて見ました。やっぱり、懐かれていますねぇ♥」
「ケンカを売られてるだけですよ」
「あら、”お客様至高”な接客で有名な彼ですよ?その彼がお客さんである貴女にだけあんな表情見せるなんて、特別だからに決まっているじゃないですか」
「…」
あまりいいことではない。
そう思う私は楽しそうな彼女の表情に言葉を呑み込んだ。
彼は人気が高いと聞く。
その見目が主な評価の対象なら余計な敵を作りかねない。
そういう面倒には飽き飽きしていたし、巻き込まれたくないのだ。
私の無気力な考え方に対して彼女は真逆の考え方を持っている。
そういった女の争いですら楽しんでしまう性格なので、この心象を語ったところで彼女の心には響かないだろう。
「失礼致します」
「!?」
背後から急に声が降って来たので身体を強張らせた。
反射的に向けた顔の先には羽黒が立っている。
「…そんなにびっくりしないでくださいよ」
いつかと同じ表情。
彼は目を細めてその言葉を紡ぐ。
「どうかしたんですか?」
言葉を紡げない私に、彼女が代わりに質問する。
「私としたことが、カップの御希望があるかを確認し忘れてしまったもので」
「そういえばそうね」
彼の答えに、彼女はあっと口を開いて合点がいった顔を見せる。
「いかがなさいますか?」
「お任せします」
覗き込むように近付く彼の顔と、さりげなく距離を取りながら答える。
「あ、それいいですよね」
「え?」
数秒ぶつかっていた視線を外し、彼も私も声の方に顔を向けた。
その先で彼女が華やかに笑う。
「私はいつも好みが決まっているからリクエストしてしまうけど、貴女はいつもお任せにして選んでもらうじゃないですか。どんなものを選んで貰えるのか楽しそうって思っていたんですよね♪…羽黒さんの私に対するイメージで選んでもらえます?」
「…かしこまりました。頑張って選びますね」
指先を合わせて無邪気な彼女に彼はそう言う。
一礼をすると、その場を離れた。
私は改めてホッと息を吐く。
羽黒との距離が急激に近くなった気がする。
懐かれるのは別にいい。
だが、客と店員という関係の線引きはして欲しい。
そう思っているうちに、料理と紅茶が運ばれてきた。
「今回はウェッジウッドで揃えてみました。お客様は華やかな印象がおありなので、花が散りばめられている”スプリングブロッサム”を」
そういって、羽黒は彼女の前にピンクのグラデーションが美しい桜のカップに紅茶を注いだ。
「こういう内側に絵が描いてあるカップも好きだから嬉しいわ♪ピンクは、私には可愛すぎる気もするけど。ねぇ、彼女には何を選んだの?」
「同じウェッジウッドから、”ベルローズ”を」
「あら、可愛い」
白地にグリーンのラインが特徴的で、可憐な薔薇が描かれているカップがテーブルに置かれた。
シンプルな中に可愛らしさも優雅さもあるそれは、割と好みのカップだった。
「それを選んだ理由って何かあるの?」
彼女が訊ねた。
「……私が、緑が好きなので」
少しだけ間を置いて、彼はそう答えた。
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