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「じゅんぺい……」
えり子の声だ。でも……。
「えり子? どうした? 俺もいま、お前のことを考えていたんだ! 俺たち相性ぴったりだな!」
「じゅんぺい……、いま、一人?」
少し、違和感を感じた。なんていうか……。
「ああ、一人だぞ。おれさぁ、えり子に言おうと思っていたんだ。今日な……」
「純平!」
話を遮り、えり子が話してきた。そんな事は一度も今までなかったのに。どうしたんだ?
「純平。わたしね、来ないの」
来ないの? 俺は行くぞ! 違う。そうだ、えり子の言うことがわからないんだ。なぜだ?
「純平、わたし赤ちゃんができたの」
えり子が言っていることを理解するのに数秒かかった。なんと言うこと! そうか! できたか! だからなのか。さっきからずっと抑揚のない声で話しているのは。だから、えり子の言うことがわからなかったんだ。
「できたか! やったな! 今どこにいるんだ? 家か?」
「違うの」
違うの? ここに来て、えり子の話の方向性が全く予想がつかなくなった。だから、黙って聞くことにした。
「純平、子供ができたの。でもね、あなたの子じゃないの」
えり子の声からはどんな感情も読み取れなかった。
視界がチカチカと明滅して、ぐわんっと軽いめまいがした。ひどく興奮しているのがわかる。動悸が激しく脈付いている。口から心臓を吐き出しそうだ。
「えり子、なんて……」
「だからね、純平とはもう会えない。さようなら」
一方的だった。まるで、日本一速いジェットコースターの最前に座り、減速することなく壁に激突する一秒前の思いだ。
電話が切れたら、えり子とは二度と会えない。予感めいた確信がある。
ああ……。もう、一秒が過ぎてしまう……。
「わたしのことは忘れてね」
そこで通話が切れた。
圧倒的な現実の鎖が重く肩にのしかかる。放心状態のまま、動けないでいる。現実を受け入れろと世界が俺に迫ってくる。
暫くそうして惚けていると、現実が徐々に生きている俺のエネルギーや、知覚や、感覚を犯して、滲んで、溶けて、俺に同化してくる。
不思議と、それで精神が楽になっていく感覚に自然の理の狂気を見た気がして、気がつくと俺は笑っていた。
「ははははははっ。はぁーーー」
はぁぁ……。
ーー冗談じゃねぇ。
俺はスマホを握りしめて、えり子が経営するイタリアンレストランに急いだ。この一件を確認しないと、少なくともえり子と会って、しっかりと、ありがとうと、さよならを言わないと、終わらせないと、俺は、俺は……。
俺は、生きたままずっと、えり子を無くしたままになる。
外は雨が降り始めていた。
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