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大学を卒業した後、外資系のコンサルタント企業に入社した。建設コンサルタントとして二十代は激務に追われる毎日だった。
建設業界では昭和の時代から続く悪しき風習が令和の現代でも大手を振ってまかり通っている。
夜は「人脈を広げる」という大義名分のもと、連日クライアントや協力会社その下請けと、酒の席で鼻を突き合わせなければ仕事にならなかったからどうにもならない。
三十を過ぎた頃、身体を壊した。
チームサポートという立場で内勤に回された純平に、上司はこれまでに幾度となく彼の肩を叩いた。
「君の才覚を発揮できる職場は他にあるかもしれないなぁ」
惨めだった。
惨めさを引きづりながらも、このままでは終われない。独立してやる。気持ちばかりが空回りをしては、燃えただれる情熱の矛先を探していた。
藁にもすがる思いで出席した三度目の異業種交流会でえり子と出会った。
「佐伯 えり子と申します。飲食店を経営しています」
紅いサテンのドレスに身を包んだ彼女に声をかけると、鼻筋にさざ波のような皺をつくり、人懐っこい笑顔を向けてくれた。肌は抜けるように白くて、一回りは年下に思えた。
「まぁ、コンサルタントをされているんですね」
「経営ではないですけどね」
一時間もしない内にえり子から注がれる視線と会話は熱を帯びた。是非とも相談に乗って欲しい。店はこのままだと畳まなくてはいけなくなる。熱心に語りながらもユーモアを交えて身の上を話す彼女は、とても知的に思えた。
仕事の依頼を断る理由はどこにもなかった。断れる理由も。
「えり子のこと抱きしめたい……」
「そんなこと言われたら、わたしは断れないよ……」
始めて会ってから一ヶ月後のことだ。一人で切り盛りしているイタリアンレストランの二階でえり子は一人暮らしをしていた。
冷え冷えとした二間つづきの江戸間には、必要最低限の家具以外には何も無かった。
外で会う時の艶やかなえり子からは想像もつかない質素な暮らしぶりに胸が締め付けられる。
ある日の事だ。
店の定休日にニ階のドアノブを捻る。すると、すんなり入室できた。部屋の奥でえり子はヘッドホンを掛けて、こちらに背を向けしゃがんでいた。
近づいた俺に気付き「えっ! びっくりした!」飛び跳ねて驚いた。
「何をしているんだ? 鍵もかけないで」
「あのね、近くのリサイクルセンターで、このミニコンポが五百円だったの。でも、鳴らないの。ヘッドホンを挿したら聴けるから、昔のCDを聴きたくて……」
畳に置かれた平成初期のうす汚れた音楽装置が目に入る。
この部屋で、音楽を聞いている小さなえり子の後ろ姿。なんて不器用なんだろう。
話を聞いた俺は、しゃがんでいるえり子を後ろから力一杯、抱きしめた。
都会で一人生き抜く彼女に尊敬と愛おしさの念が入り混じり、気が付けば貪るようにして畳を鳴らし、えり子を一晩、抱いていた。
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