紅く、美しい女性に……

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「それでは期日までにこちらに記載のある口座に、お振込をお願い致します」 メガバンクをバックボーンとして運営する総合リース会社の、クーラーが程よく効いた応接室で最終確認をしていた。 十五年務めた会社は一ヶ月前に退職している。退職金も全てつぎ込んだ。一つ、一つ、夢への階段を登っている実感に思わず口許がほころぶ。 全ては走り出している。後悔なき航海に。 一度、海に浮かべた船は沈むまで丘に上がることはない。 三ヶ月前にえり子に乗り、共に頂きから眺めたパノラマに広がる光の海。あの海の航路に乗れば全てが上手くいく。 さんざん文句を垂れた妻がまんざらでも無く機嫌のいい日常。今度こそ実をともなった「お前を幸せにする」という言葉をえり子にかけることができる。彼女が今まで見たこともない贅沢な暮らしをさせてやろう。 当たり前に想像できる幸せを、当たり前に実現させる。どんな美酒よりも酔える恍惚とした実感が湧いてきた。 自宅に帰る前に純平はメインカイザーでスイーツを多めに買った。ずっしりと重いビニールを下げて玄関を開ける。 「ただいま」 半自動の玄関のドアが閉まるのと、照明をつけたのと、スイーツが潰れたのは同時だった。 純平が床に箱ごとスイーツを投げ出したからだった。 無くなっていた。 玄関に細々(こまごま)と飾られていた装飾品。貴之が学校の課題で描いた暖色で塗りつぶした家族の絵。休みの度にあちこちの道の駅を巡って集めた、手のひらサイズの登り。貴之と妻の靴。 純平の私物はそのまま綺麗に仕舞われていた。 リビング、寝室、子供部屋。 どの部屋も同じありさまで、綺麗に床も拭かれていて、埃一つ見当たらない。それどころか、綺麗に掃除された部屋は水を打ったようにしんとして、うすら寒くすら感じた。 「こんなことは初めてだ……」 独り言ちた。舌がザラつき、喉が渇いた。そうだ、水を飲んで落ち着こう。キッチンに向かい蛇口をひねる。 ああ……。 いつも使っているマグカップもない。それならば仕方ない。と、ガラスのコップを取ろうと棚に手を伸ばした時、背筋が凍った。 ーーまさか。 弾かれた矢のごとく棚をあけて、預金通帳を探した。無い。無い。どこにも無い。三千万が無い。 預金通帳の代わりに書き置きがあった。 『飛ぶ鳥跡を濁さず。離婚調停の内容証明を後日、送ります。決して、私たちを追わないでください』
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