おやまのおいけのぬし

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「――なるほど、事情はなんとなく理解できました」  全て話し終えると、声はそう答えた。 「ですが、私に雨を降らせることはできません」  続けて届いた言葉が、一瞬理解できなかった。  今自分が一体どういう顔をしているのかはわからない。  困惑か、悲しみか、怒りか、それとも呆れか。  事実、自分を捨てた村の事なんてどうでもいいので、雨が降ろうが降らなかろうがどっちでもいい。  強いて言うなら、ざまぁみろ、か。 「仮に、私が雨を降らせることができたとしても、君の願い――いえ、その村の方々の願いを叶えてあげるようなことはしなかったでしょう」 「なんで?」 「考えてもみてください。村の方々は、雨を降らせてほしくて、神頼みとばかりに、君を――生贄として差し出した。それで、本当に雨が降ったとしたら、その後どうなると思います?」  声の主の言いたいことは、なんとなくわかった。 「生贄を差し出せば、私が雨を降らせてくれるのだと、村の方々は勘違いすることでしょう。そして、その後も同じようなことが起きるたびに、今回の君のような子供がこの山へと送られてくることになるでしょう」  まったくもって同感だった。  あの村人たちならやりかねない。 「先ほども言いましたが、私は生贄など欲しくはありません。そして、そんなものを捧げられても雨を降らせることもできません」  案外使えないんだな、とこっそり心の中で思った。  直後、ぞくりと背筋に震えが走った。  相変わらず、相手の姿は見えないし、どこにいるのかもわからない。  けれども、はっきりと今、睨まれているのを感じた。 「そもそもですね、現在雨が降らないのは、君の村だけではないのですよ。ここら周囲一帯はみな、同じような状況に陥っています」  雨が降らないのは、どこも同じということか。  今年は作物が育たない時期なのかもしれないな、と思った。 「――というわけで、正直なところ、君は用済みということになりますが……どうしますか?」  問われて、何が? と思った。 「私は、生贄はいりません。なので、このまま帰っていただいても、まったくもってかまわないのですが」 「――もう帰る場所なんてありませんよ」  そう、今さら帰れと言われたところで、帰れるわけがない。  一度は自分を捨てた村だ。  そんな村に、誰が好き好んで帰りたいと思うだろうか。 「そうですか……では、」  ふいに木々がざわめき、小池の水面がさざ波だつとともに、風に髪が煽られる。  見上げていた大樹に、おそらく声の主と思われる“誰か”の姿が見えた時、思わず目を見開いた。  脳裏によぎったのは、村の言い伝え ――この山には、化け物が住んでいるのだと。 ――それは、人の姿をした美しい化け物だと。  風に揺れる濃紺の髪は、月の光を受けて青にも見える。  陶器のような白い肌に鱗の紋様、何もかもを見透かすような碧の瞳、薄く微笑みを刻む口元。  そして、目の前の存在が人間ではないのだと裏付ける枝木のような角に、本来耳があるべき場所には魚のような鰭がある。  不可思議な紋様を刻んだ布を何枚も重ね合わせたような、青を基調とした和装を身に纏ったその“誰か”は、大樹の枝に腰かけたまま視線をこちらへと向けて問いかけた。 「君の名前は?」 「……葵、です」  引き込まれるように言葉が零れる。  人の姿をした美しい化け物。  不思議と恐れは感じなかった。  浮世離れしたその存在に、ただ純粋に――惹かれた。 「葵くん――私と共に、生きてみますか?」               <終>
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