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結婚の準備は、俺の知らないところでどんどん進んでいった。
何とか結納はすませ、両家の顔合わせは終わったが、義理の両親は、俺の親と立会人の弁護士としか会話をしなかった。
変わらず俺は引きこもり、住む家の内装や結婚式の準備は、全て相手に任せると伝えた。
住む家。
俺は、ただ、自分一人でいられる空間があれば、それでよかった。
性交を行わないというのだから、寝室は別だろう。
今と変わらない生活を送り、時期をみて人工授精を行い、子供をつくる。
子供ができたところで、俺が面倒を見られるとは思われていないだろう。
速やかに引き離され、子供はどこか、義理の両親あたりに育てられるかもしれない。
ただ俺は、子を孕み、子を産むためだけの身体としてあればいいのだろう。
婚約者がやって来たのは、結納が行われた五日後だった。
俺は結納の場で気分が悪くなり、トイレで吐いてそのまま一人で帰ったのだ。
なんとなく顔を合わせる気にならず閉じこもっていると、母親は部屋の前で怒鳴り始めた。婚約者はいいです、ここで大丈夫ですよと繰り返していた。
そのまますぐに去るかと思われたが、婚約者は部屋の前に残っているようだった。
多忙だと聞いていたのに、何故いつまでも留まっているのだろう。俺は扉に顔を寄せた。
「引きこもりと聞いたが、本当だったんだな」
独り言のように婚約者が呟いた。
「いつまでも子宮の中に留まってもらっては、子供をつくるどころじゃないな」
子宮?
その言葉に、俺は扉をそっと開けてみた。
婚約者は、廊下に座っていた。
スーツの上着を脱ぎ、俺が出てくるのを待っていたかのように、こちらに顔を向けた。
「赤ん坊くらいかと思っていたが、胎児と結婚するのは少々気が引けるな」
「胎児? 俺が?」
「子宮みたいなものだろう。君の部屋の中は。嫌なことを見たくないから外界を遮断する。それはそれで構わないんだけどね、この子宮の中ではなく、俺の選んだ部屋に移ってきてくれないかな? そちらの方が、ずっと広くて楽だと思うよ」
俺が首を振ると、婚約者は困ったように首を傾けた。
「申し訳ないが、もう君は俺と結婚するしかない。弁護士立ち会いで、金銭面の問題も片付いた。今までは嫌なことを避けるには部屋にこもっていれば良かっただろうが、問題は解決しない。この部屋は、もう君を守ってくれないんだよ」
結納から一歩も外に出なくなったことで、母親が婚約者に泣きついたりしたのだろうか。
「マンションも、箱が用意できたから、一緒に見に行かないか。好きな部屋を選んでいいよ」
この人、よりによってなんでこんなオメガを嫁にもらう羽目になってしまったのかと嘆いているだろうなあ。
気の毒としか言いようがない。この人、オメガに対する嫌悪を滲ませてはいるけれど、人間として悪い人ではない。
そんなことを考えていたのに、出てきた言葉は、違うものだった。
「子宮、って、そんなにいいもんじゃないでしょう」
俺は、俺の母親の胎内にいたことを考えると吐き気しかしない。
旧華族の体裁にこだわって。オメガの息子を恥じて。お前なんて産むんじゃなかったと何回言われたか分からない。オメガの息子なんて家名を傷つけるだけだ。嫁に行く意外に何の価値があると、扉を叩きながら喚き散らすあの女の腹など、想像もしたくない。
「そりゃあたまに、有害物質が流れ込んできて、不快になることはあるだろうけどね。それでも、人間が最も守られている時期は、子宮にいる誕生前だろう。人体は平等だ。王様でも奴隷でも、生まれる前は一緒だろう」
俺はずっとそらし続けてきた視線を、婚約者に向けた。
「……変な考え方する」
また妙な口調になったが、婚約者は咎めるどころか、ふと微笑んだ。
「元々理系なんだよ。経営より、医学の方に進みたかったんだ」
ふと、視界が揺れた。
急な体温上昇に、俺は呼吸までおかしくなった。
しまった。この状態。
ヒートが来た。
しまった、と思ったのと、欲情が背筋を這うのが一緒だった。
俺は発情期が一定ではない。不健康な生活を送っているからか、体質だからか分からない。いきなり発情期がやってくるため、事前に薬を飲んで調節することも難しい。だから中学二年から学校にも行けなくなった。
しかも性欲が全開になる。医者は、生存欲求レベルで発情していると言った。これではアルファはたまったものではないでしょう。オメガに自制してもらわねば。アルファ側にはどうにもできないのですから。
だから襲われても仕方ないというのですか。
アルファ側の自制は、全く必要ないというのですか。
犯す側に非は全くないと言うのですか。
「大丈夫か」
苦しい。苦しい。下半身が痺れる。爆発しそうなのに、爆発しない。
「服を脱いだら駄目だよ」
だって。だって。だって。苦しい。触りたい。
「薬はどこ?」
くすり。くすり。あそこ。ねえ、薬なんていいから、俺を触って。お願い。触って。触って。
「待ちなさい。待つんだ。な? この注射? これだな。腕を出しなさい、薬をうってからだ」
薬なんかうったって、治らない。ねえ、出して。俺を触って。犯していいから。ねえ。お願い。
俺は必死で相手の熱を、肌を求めた。相手の手が俺を押しのける。
なんで?
なんでアルファなのに、この人は冷静なの?
「……冷静じゃないよ」
だってあの男は、俺を犯してきたよ? 十四だった俺が誘ったんだって、俺が股を開いて誘惑してきたんだって、アルファの自分がそれを抑えられるわけがなかったって、自分に非はない、こいつが淫売なオメガなのが悪いんだって罵ってきたよ?
俺からいい匂いがするでしょう? 俺を犯したいでしょう? 犯していいよ?
首輪を外していいよ。俺を犯したあの男が、首を噛みたがってハサミで無理矢理切ろうとしたから、俺の首にはみっともない切り傷がついている。
それだって犯された証だ。あんたが可哀想。こんな穢れた、淫売をあてがわれるなんて。もう少しまともな仲介業者を頼れば良かったのに。
ごめんね。俺でごめんね。我慢できないでしょう? あんたの股間、こんなになってる。我慢しなくていいんだよ。俺の旦那様なんだから。ただの穴だと思ってやっていいから。どうせ挿れたら、男だって女だってどうでもよくなる。オメガの穴は、みんな同じだ。
「……千寿」
注射が効いたかどうか分からない。
収まらない俺の性を、何度も何度もあの人は手で、抜いてくれた。
疼く孔を突いてくれと頼むする俺を宥めて、指を入れて中をかき回してくれた。右手で俺のペニスを擦り上げて、左手の指はあっという間に三本も孔に埋まり、中指でこりこりと前立腺を刺激してくれた。俺は婚約者の左手を愛液で手首まで濡らし、精液を胸に何度も放った。
気を失うまで、何度も何度も、挿れてくれと懇願して、彼の股間に手を伸ばしたが、彼は一度も、挿入しなかった。
それどころか、一度も抜かなかった。
明らかに、勃っていたにも関わらず。
汚い自分の部屋で、それでもきちんと整えられたベッドの上で目を覚ました時、俺は確信した。
そして、発情期が終わってから、俺は初めて自分の意思で、外に出た。
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