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「まあ妻がいるし、いつか子供も、って思うとね。頑張れるうちに頑張らないと」
「家族のために! カッコイイ。……あ、そう言えば、課長の奥様って専業主婦でしたよね」
いいなあと言って、坂本さんは大きなトマトをひとくちで頬張る。飾らない彼女の人柄はとても営業向きで、完全に家庭に入るのはもったいないと俺は思う。
「そうだね。でも、専業主婦は専業主婦で退屈だと思うよ。仕事なり何なりで、外に出た方がいい。うちの妻も半年前から……」
習い事を始めたよ。
続きを言おうとした俺の口は、とある違和感に囚われ、止まってしまった。
そういえば、妻の美奈子は仕事ではなく習い事で外出するのだ。 なのに──。
先日、広瀬さんの奥さんは、何と言っていただろう。
『奥さん最近お仕事なさってるんですね』
仕事。確かにそう言ったのだ。
先ほど交わした、女性のファッションについての会話。今度は坂本さんの言葉が頭を過る。
『仕事中じゃないってのはすぐ見抜けます』
どういうことだろう。広瀬さんの奥さんが、特別ファッションに疎いだけだろうか。
……いや、彼女もまだ若いし、思い出してみれば、いつも綺麗に着飾っていて、そういうタイプには見えない。
だいたい、週にたった二回、それも午後に出かけて行くのを見かけて、仕事だと思うのだろうか。恐らく男性の俺でも思わない。
ただの気にし過ぎか? しかし、拭いきれない違和感──。
「課長、どうしました?」
坂本さんの丸い瞳が、急に黙り込んだ俺をやや心配そうに見つめる。
「……ねえ、坂本さん。ちょっと聞いてもいいかな?」
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