95人が本棚に入れています
本棚に追加
◇◇
いつもと変わらない朝。重い瞼を擦りながらキッチンに行けば、美奈子が花のような笑顔で「おはよう」と迎えてくれる。
いつも通り穏やかな朝食の時間が過ぎ、支度を整えて玄関に向かう。
「はい、お弁当。今日も頑張ってね」
差し出された弁当を受け取りながらキスをすると、
「もうっ、いつもいつも。新婚さんじゃないんだからね」
美奈子は眉間に思いきり皺を寄せた。けれど口角は上がり、目は幸せそうな弧を描いている。
その様子と夜ベッドの中で向ける背中があまりにも噛み合わなくて、全ての違和感はやはり気のせいなのだ、と思いたくなる。
けれど──。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけて」
家を出て、エレベーターに乗り込む。この時間だから途中で誰と乗り合せることもなく、すぐに一階で停止した。
「あら、杉浦さん。おはようございます」
ドアが開くやいなや、そんな声が俺を迎える。目の前に、広瀬さんの奥さんが立っていたのだ。恐らくゴミでも出していたのだろう。
「おはようございます」
挨拶を返し、そのまま数歩歩き出したところで、はたと足を止めた。慌てて振り返り、
「あ、広瀬さん」
今まさにエレベーターに乗らんとする彼女を引き止める。
「はい、どうしました?」
不思議そうな顔をこちらに向けた広瀬さんに、「引き止めてすいません」と断りを入れてから。
「ちょっとお聞きしたいんですが」
どうすれば自然に聞き出せるのかを考える余裕は、時間的にも精神的にもなかった。
「この間、うちの妻が出かけるのをよく見かけるって言ってましたよね?」
最初のコメントを投稿しよう!