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馴染みのバーで、いつものテーブルについているジェイミー・グラハムは、足を組み換え、軽く髪を掻き上げると、運ばれてきたばかりの『ブルー・ムーン』に口をつける。
ブルーと付いているのに、色はきれいな赤紫というカクテルで、最近のジェイミーのお気に入りだ。味もさることながら、名前通りでないひねくれぶりが、実に自分を彷彿とさせてくれる。
正面の席に腰掛けている飲み友達のダグラスとシンは、マンハッタンを味わっていた。
ダグラスは大柄なアメリカ人で、愛嬌たっぷりの顔をしている。年齢は三十代後半。一方のシンは細身の日系アメリカ人で、二十代半ばながら、どことなく学生っぽく、勤勉な雰囲気を持っている。見た目はほとんど日本人だ。
この二人は会社は違うが、外資系企業に勤めているビジネスマンで、たまたまこのバーで顔を合わせているうちに、同じテーブルについて語り合う仲となった。
ちなみにジェイミーは二十九歳のイギリス人で、外国語大学の講師をしている。
ダグラスとシンのデジカメ談義を音楽に、ジェイミーは、先日アメリカ旅行に行った同僚に買ってきてもらったペーパーバックを開く。
日本製電化製品をこよなく愛しているダグラスとシンの会話に入っていけるつわものは、なかなかいないだろう。
それに、二人とも英語で会話を交わせばいいのに、なぜか流暢な日本語を使っている。ジェイミーも日本語は嫌いではないし、うまいほうだと自負しているが、なぜプライベートの会話まで、と思わなくもない。
生ハムを摘まみ上げ、ペーパーバックに視線を落としたまま、ジェイミーはため息交じりに呟いた。
「――……何かおもしろいことはないのか」
ダグラスとシンに敬意を払い、呟きは日本語だ。
ピタリと二人の会話が止まり、おもしろがるような視線を向けられる。上目遣いでそれを確認したジェイミーは、軽く二人を睨みつける。
「なんだ」
いやあ、とダグラスが苦笑を洩らす。
「また始まったと思って。ジェイミーの退屈癖が」
「自分が巻き込まれるのは嫌だけど、何か起こってほしいと思うんだよね、ジェイミーは」
このバーで一緒に飲み始めて一年ほどになるが、それだけの期間があれば、お互いの気質は大体把握できる。まさしく、シンの言う通りだった。
「当たり前だ。自分が面倒に巻き込まれて、楽しめるわけないだろ」
「……上品できれいな外見をしてくるくせに、食えない性格は変わらずだな」
ふん、とジェイミーは鼻を鳴らす。自分の外見の価値についてはよく理解していた。
細くしなやかな髪はまばゆいほどの金色で、瞳は透明感のある冷たいほどの青。近寄りがたさすらあるきわめて理知的で端正な容貌は、モデルであった母親にそっくりだ。
イギリス人として理想的な容貌は日本人受けがよく、下心ありのモーションをかけられたのも両手の指では足りないほどだ。しかも、男女関係なく。
恋愛にさっぱり興味がないジェイミーは、『おもしろいこと』の中に、自分の恋愛を含める気は毛頭なかった。
「周りでおもしろいことを探していて、自分の足元をすくわれないように気をつけるんだな」
年長者らしいダグラスの忠告に、ジェイミーは大げさに肩をすくめてみせる。
「わたしはそんなに大うつけではない」
学生に教えてもらった日本語の単語をさっそく使ってみる。
電化製品だけでなく、日本語フリークでもあるダグラスがにやりと笑う。
「どうだかな。お前は案外しっかりしてそうで、肝心なところが抜けていそうだからな。けっこうシンのほうがしっかりしてそうだ」
ジェイミーはじろりとシンに視線を向ける。自分は関係ないとばかりに、シンはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
うるさい学生を一瞬にして黙らせる、殺人的な(と、ダグラスが言った)視線は、どうやらシンにも有効のようだ。
「怖いよ、ジェイミー」
「別にお前をとって食おうなんて思ってない」
意識はなくとも、日本人のような話し方をしている自分に、多少の忌々しさを覚える。それもこれも、日本に頭の先までどっぷり浸かっている目の前の二人のせいだ。
このときジェイミーの耳に、地下のこのバーに下りてくる足音が聞こえてきた。
何気なく視線を階段に向けると、自分たちも人のことは言えないが、ずいぶん毛色の変わった男の客がバーの店内を見回していた。
ダグラスが小さく感嘆の声を洩らす。
「派手な色男だな」
まさしく、ダグラスの言った通りだった。
どう見ても日本人ではない、彫りの深いハンサムな顔立ちに、長めの髪はくすんだ印象のウェーブがかった金髪だ。瞳は、角度によって茶色にも黒色にも見える褐色だ。年齢はシンと同じぐらい。
物珍しげに店内を見回す度に瞳はくるくると表情を変え、なんだか子供っぽい無邪気さがある。それでいて、したたかな男の匂いを発しているようなところもある。
男の存在そのものも派手だが、男の格好も派手だ。着物によくあるような華やかな柄がそのままプリントされたパンツを履いており、そのうえシャツは、赤を貴重とした、やはり派手なものだ。
見ていて目がちらついてきて、ジェイミーは思わず目頭を押さえる。
それでもバーにいる客たちの――特に女性たちの熱っぽい視線を集めている。
男は空いている席を探しているようだが、あいにく金曜日の夜ということもあり、カウンターもテーブルも満席だ。
苦笑を浮かべた男が、大げさに肩を落とす。そして、吸い寄せられたようにジェイミーを見た。くるんと、男の瞳が動く。
ジェイミーたちは四人がけのテーブルについており、当然ながら、一席空いている。しかしそれはジェイミーたちのテーブルだけでなく、他の二、三のテーブルも同じ状況だ。
「……こっち見てるよ」
不安そうにシンが言う。
「いいじゃないか。今のところこのバーに外国人は、俺たちだけだ。言葉が不安なんだろ。誘ってやれよ」
ジェイミーやシンの意見も聞かず、ダグラスは愛想よく男に向かって手招きする。すると男は表情を輝かせ、長い足で大股に歩み寄ってきた。
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