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それは以前、武井が署名し、岡島に手渡していた離婚届。
優子の欄はまだ未記入で、それを手にした武井はそのまま、
背を見せる優子の方へ顔だけを向けた。
そして何事かを言い掛けるが、眼前にある優子の顔を見た途端、
突然、何も言えなくなった。
心が震え、その痺れるような感情に、
声にした途端号泣してしまいそうなのだ。
――どうするの……?
優子の不安げな顔が、まさにそう言っているように見えた。
さらに次の瞬間、フッと儚げに微笑んだ。
悲しそうにも映るその微笑みに、
彼はとうとう突き上げてくるものを抑え切れない。
武井は思わず天を仰ぎ、離婚届を真っ二つに引き裂いた。
続いて漏れ響いた武井の嗚咽は、
彼以外の心にも、まこと緩やかに伝染していくようだった。
それからは誰も語らず、愛や麻衣はもちろん、
岡島でさえその目に涙を湛え、視線をあらぬ方に向けている。
しかし、優子は泣いてなどいなかった。
ただ穏やかな表情で、膝を抱え身体を震わす武井の背中に、
ゆっくり手を差し伸べていく。
するとその手が触れた途端、武井の身体がビクッと震え、
勢いよく......その顔を上げたのだ。
おもむろに背筋をピッと伸ばし、正面を見据え、
彼は愛と麻衣に向け、いきなりの声を上げるのだった。
「お父さんのこと、本当に……申し訳ありませんでした! 」
そう言って勢い良く頭を下げる武井に、
愛と麻衣はただただ驚き、目を丸くして顔を見合わせる。
武井はなかなか頭を上げようとせず、
いつまでもその背中を嗚咽と共に揺らし続けた。
優子は武井のそんな姿に、
やがて覆い被さるようにその背中を抱きしめていった。
そうして初めて、優子は唇を震わせ、
悲しげな吐息を車内へと漏らし、響かせた。
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