第二章 罠

13/19
322人が本棚に入れています
本棚に追加
/147ページ
 ――5つの銀行に預けてある預貯金はすべて優子のものとし、  ――それ以外の有価証券ほか、土地を除いた残りの財産はきっちり折半。  ――国内外に所有する土地建物については、世田谷の自宅を除き、  ――すべて優子へと譲渡する。 「もちろん、今家にある優子が欲しいと思うものは、好きに持っていって貰っ  て構わないから……」  まるで、お菓子でも分け合うように、  武井がすっきりとした顔でそう言った。  そこは岡島の勤める弁護士事務所で、  優子との離婚条件に決着を付けるため、病院から直接やって来たのだ。  彼は提示内容に驚いている岡島の前で、  内ポケットから書類のようなものを引っ張り出した。    それは、片側だけが書き込まれ、  あとは優子が署名すればいい状態にある離婚届。  そんなものを差し出した後すぐ、  看護師に支えられながら事務所を後にするのだった。 「彼、最後になんと言っていたと思います? 」  岡島が窓から遥か下の方を見つめて、  見える筈もない武井の姿を探しながらそう言った。 「なんて、言ってたんですか? 」 「幸せになってくれと、あなたに伝えて欲しいって……」 「そうですか……幸せに……ですか……」  複雑な表情でそう応えていたのは、やはり窓際に立つ優子であった。 「しかし、ここまで折れてくるとは、なんとも凄い……これなら、充分お釣り  が出ますよ」 「本当に、ありがとうございます 」  岡島に続き、優子がそう言って振り向いた先に、  窓の方を向いて、しかし空を見上げている女がいた。  女は優子に礼を言われて、少しだけ恥ずかしそうに下を向き、  それからフッと息を吐いた。    そしてゆっくりと足を一歩踏み出し、 「彼、今頃どの辺かしら? 」  と呟いてから、2人と同じ方へと視線を向ける。 「ちょうど、1階くらいかな? きっとエントランスを出たくらいじゃないで  すか? 」 「でも、まだまだ先があったのに、これで終わりなんてあまりに呆気なく  て……彼、まさかわたしと結婚なんてこと、考えてたわけじゃないわよ  ね? 」 「さあ、それはどうなんだろう……今の段階で、そこまでは考えていないでし  ょう? そう簡単に、結婚なんて……いくらなんでも、そこまでは……」  岡島の戸惑ったような声に、女は急に戯けたような表情を見せる。    それからさらに窓際に近付き、  大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐き出しながら、 「でもね、本当にあっという間だったわ……笑っちゃうくらいにね……」  遠く地上を見下ろし、  岡島と優子の間に立って、  山瀬美咲が......独り言のようにそう呟いた。
/147ページ

最初のコメントを投稿しよう!