第六章 反撃 

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 会社を辞めることになったのは、本当にいい機会だったと思っている。  もしこんなことにでもならなければ、  自分はきっと、70歳になっても働き続けていただろう。  でもおかげで、家族との時間が何よりも大切なんだと、  今は前以上に思えている。  それでも、これまでの会社人生は素晴らしいものだったし、  武井さん、あなたには本当に感謝している……しかしだからこそ、  これだけは信じて欲しい。  わたしに、あんなことをする意味がどこにあるのか?   よく考えて欲しいんだ。  写真の件は、絶対にわたしではない。  わたしであるはずがないじゃないか?〟  今朝、この2日間きみが行方不明だと聞いた。  いったい、きみは今どこで何をしているんだ?  妻もわたしも心配している。  きっと優子さんだって同じだろう。  どうか、この留守電を聞いたら、わたしにすぐに電話をくれ。  どこへだろうが迎えに行くぞ。  30年乗っている俺の愛車で、今すぐおまえを迎えに行ってやるから……。                ✳︎    もちろん事件のことは知っているだろう。  でも柴多はそのことには一切触れずに、大凡こんな内容を留守電に残した。  ――やっぱり、敵わない……。  仕事においては、決して自分が劣っているとは思わなかった。  しかしそれ以外のことについては、  ずっと心のどこかで、そんなふうに思っていたのかも知れない。  仕組みを考え、そして形にしたのは確かに武井の方だった。  しかし、もし柴多の存在がなかったら、  何人の優秀な人材が流出せずにいただろうか?   心の片隅で感じてはいたのだ。  社内外における彼への信頼は絶大で、  だからこそ、一流企業としての今があるんだと……。 「許して……くれ……」  ふと声になった言葉は、いったい誰に向けてのものなのか?   それはきっと、自分に関わった人すべてに向け発せられていたに違いない。    自分はいったいこれまで、  どれほどの人を軽んじ、不快な思いをさせてきたのか?   きっとその結果がこの状況なんだと、  彼はその時、己の人生を葬り去りたいとまで思った。  それからタクシーは高速に乗って、  最後まで男の車を見失うことなく箱根の別荘地に到着する。  そして今、先に別荘に行ってるから――そう言っていた男が、  勝手知ったるという印象のまま、林の中の一本道を上っていく。  武井はタクシーが高速を降りた辺りから、  鼓動は高鳴り、苦しいほどの胸騒ぎを覚えていた。  実は彼は何度も、この辺りに来たことがあったのだ。  先行く男が歩いていく一本道こそが、優子に譲渡した別荘へと続くもの。  そんな中、後を追う武井はふとした弾みに、  遠く前を行く男の姿を見失ってしまう。  しかし、ここまできてあの別荘が無関係であるわけがないと、  彼は左右にカーブを描く道をただひたすらに歩いていった。  その先にあるのは、国内にいくつかある別荘の1つで、  以前飼っていた大型犬のために購入した物件だった。  だからやたら土地だけは広く、こぢんまりした建物の周りに、  荒れてしまった芝地がどこまでも広がっていた。  もう門までの距離はすぐだったが、  その先にはやはり芝地が続き、建物まではまだかなりの距離がある。  それでも彼にははっきり見えた。  ――何を、してるんだ!?  武井が目を向ける遥か先、  遠くに見える建物の周りで、たくさんの人影が動き回っていた。  武井はそれから、死角となりそうな障害物に身を潜めながら、  建物へと塀伝いに近付いていく。  そしてその光景が目の前となった時、彼は物陰から思わず呟くのである。 「これはいったい……どうなってるんだ……? 」
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