爛(らん)

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 理由はいまだに誰にも聞いたことがないのだが、僕には両親がいない。  物心ついた時には、三つほど年上の姉と一緒に、施設にいた。  姉は今考えてみても、僕と違い、なかなかの器量よしだったと思う。施設の中でも姉に秋波を送っていた者は、何人かいたはずだ。  その姉も今はもういない。  そして僕が姉を失ったその日の話を、今までにも何人かにしたことがあるのだが、まともに信じてもらえたためしがない。  もうずいぶん昔の話になる。  それでも、忘れようもない。  僕がとうとう姿すらまともに見ることのなかった、姉を奪った化け物のことを。 ■  僕が小学四年生の時、町に、井戸鬼という化け物が現れるという噂が広がった。  どんな奴かといえば、名前そのままで、普段は井戸の中に潜んでいる。そして近くを人間が通りかかると、井戸に引きずり込んで食ってしまうというのだ。  その姿は、子供たちの間では昔ながらの赤鬼でイメージされていた。  僕が施設長のおじさんにそう言うと、 「じゃあ、それはきっとそういう姿をしているよ。こういうことはね、子供の言ってることの方が当たるんだよ」 と笑っていた。  腕に覚えのある同級生などは、「逆に井戸鬼を捕まえて、皆の前に引きずり出してやる」などと息巻いていたのだが。  別の同級生が、「いやあ、それは無理だと思うよ」と水を差した。 「なんでだよ」 「どうやら井戸鬼は、最初に不意打ちで人の足を鉈で削ぐらしいんだ。そうして動けなくしてから井戸に引っ張り込むんだよ。だからいくら力があっても抵抗できないらしい」  さらに別の一人が首を突っ込む。 「しかも瞬間移動ができたり、腕がめちゃくちゃ伸びるらしいぜ。二番街のアーケードの上とかに、よく貼り付いてるらしいよ」 「らしいらしいってなんだ、誰から聞いたんだよ、そりゃ。最後の方、井戸関係なくなったしよ」  そう。  この手の話題の常で結局は、実際に被害を受けた人間もいなければ、井戸鬼とやらの姿すら見た人がいない。  そうして、いつか風の噂かそれ以下になって消えていく。  そう思っていた。  何しろ、この町には、井戸などないのだから。
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