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のりことあやしい旅館1
「うわっ、ボロッ……」
のりこは、父親の実家だというその旅館を見ておどろいた。
駅前通りからひとつ入ったところにあるその古い建物は、いまにも落ちてきそうな瓦で葺いてある和風の二階建て。
正面大きくひらいたガラス戸にえがかれた「綾石(あやいし)旅館」という金泥文字もすっかりはげて、読みとることさえむずかしい。
「――さあ、どうぞお入りください」
のりこのわずかばかりの荷物をつめたバッグを手にした、青白く背の高い男はそのガタピシする戸を器用に開けると、いんぎんにまねいた。
「ここが、今日からあなたが暮らす家です」
思えば、その日は最初からちょっとおかしかった。
朝、のりこが小学校に向かうためにアパートから出ると、道に黒く小さなプードル犬がいたのだ。
のりこは動物がきらいではないので、おいでおいでと手まねきをしたが、近づいてこない。ただ、こちらをじっとうかがっているみたいで気味がわるかった。
学校にいるあいだも気になっていたが、帰ってくると、もうアパートの前に犬はいなかった。
そのかわり、二階の自分の家にあがると、部屋のなかにカズヨさんだけでなくお客さんがいるのに気づいて、緊張した。
(――やだなぁ。また借金取りか)
のりこがいっしょに暮しているカズヨという女性は「接客業」という仕事をして生計を立てている。少女にはよくわからなかったが、お客さんといっしょにお酒を飲んで会話して楽しませる仕事らしい。
そうやって、赤の他人であるのりこの生活の世話を見てくれているカズヨはいい人なのだが、ちょっとだらしないところがあるのが難だった。
飽き性なのかひとつのお店に長くつとめることがなかったし、いかついおじさんたちが借金の取り立てに家に来ることもよくあった。
そのせいか、のりこはひとつの学校に長くいたことが無い。ひと月もたたずに次の学校にうつることもしばしばあり、いまの学校にも二週間ほど前に転校してきたばかりだ。
おかげで小学四年生になるというのに、のりこはいまだ決まった友だちができたことが無い。
だから、カズヨがちょっときまりわるそうに体をゆらしながら
「のりちゃん、こちらの方はあんたをむかえに来たんだよ」
と言ったときには、思わず
「えっ!?むかえって……カズヨさん、あたしを売るの?」
と、聞いてしまった。
カズヨはあわてて
「バカッ、だれがそんなことするもんか!人聞きの悪いことを言うんじゃないよ!」
まだ出勤前のすっぴん顔で言うと、つづけて
「……この人はあんたのおとうさんの知り合いだよ」
「……おとうさんの?」
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