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のりことだんまりお客4
「あら、ほんまや」
かむの駅そばの公園の植え込みをうろついているのは、スーツすがたに大きな虫とり網を持った、しかもすっぽりその頭をおおうようにゴム状の覆面をつけているあやしい男の人だった。目と鼻、口、耳のところに小さな穴が開いてはいるが、その奥はまるで見えない。ちょっと前にテレビで観た古い映画「犬神家の一族」に出てくるスケキヨみたいな格好である。
(あれはたしか、五日前から旅館(うち)に泊まっているだんまりさんだ)
「だんまりさん」というのは、ただのりこがそのお客さんにつけたあだ名で、本名は知らない。彼は五日前、とびこみ(予約なし)で綾石旅館にチェック・インしたのだが、その最初から、だれもその声も聞いていないし、覆面をとったところも見ていない。
チェック・インにはメッヒが応対したのだが、あの番頭はなにせ「特殊」だから、声を聞かずとも客の身ぶり手ぶりを見ただけで
「――ああ、おひとりのお泊まりですね。宿泊数は未定、お食事の用意はご不用ということで……。はい、うけたまわりました」
と、はたで見ていたのりこには全く理解不能だったのに、まるで問題なく意思の疎通をしていた。客自身の記した名簿をのぞいても、ニョロニョロっとした線みたいなものが書いてあって、なんなのかわからない。
よく見ると、だんまりさんは左右どちらの手にも指が一本ずつしかないようだ。
「なにこれ?読めない。どこのことば?」
と、のりこがこっそりたずねると番頭は
「さて。私にも読めかねますね。というより、これはただのニョロニョロとした線でしょう。意味はありません」
「そんな。名前もちゃんと書かないようなものを旅館に泊まらせてだいじょうぶなの?」
少女の、あるじらしい懸念に番頭は
「それはたしかに、ふつうの人間用の旅館ならだめですね。しかし、ここはあやしの旅館。あらゆる異界のものを受け入れることをポリシーとしています。指名手配のものは別として、身元があやしいぐらいなんでもありません。なにか問題を起こさないかぎり名前も顔も出さずともけっこうです。……というより、あのお客さまに『それ』を求めることは無理でしょう」
どうやらメッヒは、お客の素性について、すでに思いあたるふしがあるようだったが、あえては語らなかった。
そしてチェック・イン以来、だんまりさんは毎朝はやく起きだしては、なにやら布にくるんだ長い道具をもって出かけていた。いま思えば、あれが虫とり網だったのだろう。そして夜おそくに旅館にもどってくるという日々をくりかえしていた。旅館の中で従業員にことばを発することも、顔を出すことも一度もない。目の奥もまったくの暗闇で、まるで表情がうかがえず、のりこもすれちがうときにあいさつをするだけだった。
観光に行くでもないようだし、いったいなにをしているんだろうとおもっていたが、まさか近所の公園で虫取りをしているとは知らなかった。
旅館の外とはいえ、利用客を見かけたのだから、だまっていくのもなんだと思った少女が
「お客さ……」
一声かけようとしたそのとき
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