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のりことだんまりお客7
(ほら、やっぱり。お祝いなんかできないよ)
あるじが目でせめたが番頭はそれを受けながし、無言でも落ちこんでいるのがわかる客に近づき、小声でなにやらささやいた。だんまりさんは最初はためらっているようだったが、ワインを見せられ話を聞いているうちに、反応して身ぶり手ぶり……どうやら番頭の言うことにのることにしたらしい。
「さて、それでは用意しましょう。おい、クワ……いや、アンジー。たらいをもってきておくれ。――あるじ、外に出ましょう」
番頭は自分の言いまちがいにバツがわるかったのか、そそくさと外に出た。のりこには、それがなんだかうれしかった。
メッヒは旅館の横の駐車場の真ん中にたらいを置くと、それに先ほどのワインをとぷとぷと注いだ。
あまずっぱく芳醇なかおりが、あたりいったいにひろがる。
「えっ?そんなことしてもったいないことないの?」
お酒を飲まない少女でもそう思う。ユコバックなんか目を剥いておこりそうだ。
「いえ。これでよいのです。さあ、あとはじっとかげで待つだけです――お客さま、よろしいですね」
だんまりさんはうなずいた。
(なに?まさかこのワインのかおりで、さっきの毛玉をおびきよせるの?カブトムシやクワガタムシみたいに?あれってムシなの?)
のりこは疑問いっぱいだったがお客さまの手前、あまり根問い(ねどい)もできない。だんまりさんやメッヒとともにだまって、駐車場に置かれたバンのうしろにかくれた。
時はもう夕暮れ、たそがれどきである。
(うっ……足がしびれてきたよ。こんなのでほんとうに来るのかしら?)
少女がおんなじ姿勢をたもっているのがつらくなりはじめたころ
――ぶひぶひ。
どこからか豚が鼻をひくつかせるような音が聞こえたと思うと、薄闇の空からふわふわさまよい飛んできたのは、あの毛むくじゃらの球体だ。それは駐車場のたらいを確認すると、警戒するようにそのまわりを飛んでいたが、そのうちたえきれなくなったのか、たらいの中にべちゃりと飛びこんだ。
――ずびびびび。
どうやら、たいへんないきおいでワインを吸いこんでいるようだ。
「いや、お客さま。もっとあれが酔いつぶれて動けなくなるまで待ちましょう」
そうメッヒにとどめられていただんまりさんだったが、目の前にいる毛玉にたえきれなくなったらしい。
「あっ、お客さま、まだはやい!」
制止も聞かず、毛玉に飛びかかった。
しかし、その行動は番頭の言うとおりちょっと早かった。
気づいた毛玉がおおあわてで空へ浮き上がる。だんまりさんの手はその長い毛にかろうじてかかるが不十分で、いまにも逃げだしそうだ。必死におさえようとするだんまりさんと毛玉がもみあっていると
「きゃあっ!」
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