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その時、気がついた。
彼女の手が、頼りなく震えていることに。
顔色を見やれば血の気は失せ、浮かべた笑顔は脅えを誤魔化すためのものであると容易に想像することができた。
当然だ、彼女は正しく少女である。未知の生物が目の前に現れたら恐ろしいだろうし、戦うなんて思い付きもしないだろう。そして家に帰れば彼女を想う家族がいるはずなのだ。
そんな少女を戦いに巻き込んでも良いのか?
答えは否だ。すべての少女は愛すべきであるし、彼女らの未来は明るくなくてはならない。日常はすべからく幸福なものであってほしい。俺は女好きの名に恥じぬ光の国の獣である。
俺は断腸の思いで理想の美少女に別れを告げ、怪獣の元へと走った。
なるべく屈強そうな、戦いを苦と思わない奴を探すのだ。
魔法少女になる人物を探しているはずなのに、俺はもはやか弱い少女を戦いに巻き込む気はなかった。矛盾した思考であったが、それだけ俺は混乱していたし必死だったと言える。
だからだろう、あんな事を口走ってしまったのは。
「待て、そっちは危ない」
怪獣へ近づくように走る俺を引き留める腕があった。ごつごつとした武骨な大人の手。俺の2倍ほどはありそうな、太くてたくましい腕のだった。
切羽詰まっていた俺はこの強靭そうな腕の持ち主に、脊髄反射のごとく問いかけてしまったのだ。
「頼む! 俺の魔法少女になってくれ!!」
この台詞をたまに夢に見る程後悔している。
言ってしまってから、自分自身で「何を言っているんだこいつは?」と首を傾げざるをえなかったし、思ったよりでかい声が出たので周りの様子が気になって仕方なかった。職務は全うしたいが、人間としての外聞だとかは大事にしたい。
それ以上に、俺の腕を掴んだまま黙り込んだ男の方を見るのが怖くて仕方がなかった。
「いや、あの、これはですね」
しどろもどろになりながら顔を上げると、見知った顔に出くわした。
―――軽井美琴。
当時はそこまで交流がなかったものの、通う学校の教師の名前くらいは把握していた。思考の読めないこけし面で、まるで初対面の生物を見るかのような目で俺の事を見つめていた。
「俺が、魔法少女に……?」
ぽつりと呟く台詞は日曜朝とかでたまに流れる"お約束"の言葉。正直、ド渋い男の声で聞かされくはなかった。原因は俺だけど。
「それは、なんのために?」
おや、と俺は目を見開いた。「馬鹿なことを言うな」と一蹴されるものだと思っていたが、意外にも掘り下げてきた。生徒の話はいきなりは否定せず、あまさず聞き取るタイプの先生なのかもしれない。年中芋ジャージだからとてもそんな人格者には見えないが。
しかし、これはチャンスだ。
信じてもらえるかはわからないが、いざとなれば本来のゆめかわいいマスコット姿を晒して説得しよう。生徒だとわかっていれば、万が一にも保健所に引き渡されるなんてこともないだろうし。
「あの怪獣を倒すために力を貸してほしいんです」
少し離れたところで、新幹線をプラレールを振り回す子どもみたいに持ち上げたチュートリウスを指差すと、軽井先生は「なるほど」と頷いた。
相変わらず真意の読めないこけし面に、続きの言葉を投げ掛けようとしたのだが、彼が俺の両肩をがっしりと掴み、顔を覗き込んできた事で閉口してしまう。
「承知した。今日から俺が、お前の魔法少女だ」
流れ出すホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」。ドンッからの、エンダァァァイヤァァ。
目の前のこけし面は無駄にキメ顔で、腹が立つくらいには顔が整っていたし、俺は俺で先程の台詞を拾われたことが恥ずかしくて赤面していたのでそういう場面に見えなくもないが、BGM係は早急に名乗り出て頂きたい。校舎裏でちょっとお話ししたいことがある。
「それで、俺はどうすればいい」
百面相を繰り広げる俺とは対照的に、無表情を貫く彼の言葉で現実に引き戻された。
そうだ、事は一刻を争う事態である。この際、魔法少女の中身は誰だって良いのだ。魔法の力でいい感じに魔法少女に変換されるはずなので。
彼の武骨な手のひらに赤い宝石のついたファンシーなブローチを手渡す。ぼんやりとした視線が興味深げにブローチを見つめるのを感じながら、なるべく平静を装って使い方の説明をする。
「これを付けた状態で、光の国の獣と手を合わせて呪文を唱えると変身できます」
「呪文とは」
「なんでもいいです。なんかアガる言葉を気合入れて叫んでください」
「……光の国の獣とは? 何処にいる?」
「それは俺です」
「お前か」
がしりと手を握られた。握力が強い。
するといつの間にか彼の逞しい大胸筋の上にちょこんとつけられたブローチが光りだす。「メカジキ!」というお前本当にそれでいいのかと詰めたくなるような磯臭い掛け声の後、俺たちは白い光に包まれた。
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