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…
「ああ"ああ"ああ"ああっ!」
寮内に地を這うような男声が響き渡った
そのもがくような叫びに、寮生は皆動きを止め耳を澄ました
「な、なんだ…?」
「緊急事態発生か!?」
皆が廊下に飛び出した
早朝5時、まだ起床時間まで2時間弱の余裕があった
深刻な獣人被害者が一人出た昨日の今日だ
「いや、まだそれと決まったわけでは…」
「しかし、こんな大きな声を出しているとは異常事態としか」
かかとの高い靴の音が聞こえてきた
この音がすると皆、敬礼をする
「何事」
そこへ顔を出したのは、
寮監、兼、隊長補佐官ジエン
「ジエンさん!大変なことです」
ジエンは顔色一つ変えず…ということになるのだろうか
起床時間より2時間も前というのに、
完璧に整った髪と正装で廊下を見渡した
「聞いた」
そしていつも、口数が少ない上に…
笑顔だ
「ジエンさんはまた笑顔でいらっしゃる…
素敵だ」
「何も面白くないがな。歯を一切見せないのは気味が悪い」
常に笑顔な軍人などどこにいようか?
ジエンは目を細め、背筋を伸ばした良い姿勢でまるで上流階級の領主だ
「それが良いじゃないか、あの方には他の高官にない気品があって清楚で…」
「あれが気品?貴族出身なのにこんな末端で働いているということは、
余程の不祥事を起こしたに違いないな」
「まぁ、とにかく厳しい奴さ。気を抜くな」
「そうなのか?ジエンのそんなところは見たことがないが」
「おい、ジエンさんを呼び捨てにするな」
「しっ、ぺちゃくちゃ喋ってると…」
そのお喋りな隊員の前で
ガツン、と絨毯のひかれた床を突き刺したのは
ジエンの高いブーツのヒールだ
「君」
「は、はひっ!」
「…事情を知るか?」
ジエンは威圧的に聞きつつ笑顔を崩さない。
これこそ殺しの笑みである
「ノ…ノー、サー。
ただ、下階から聞こえました故
恐らくフレッシュマンかと」
隊員は引きつった顔で答えた。
「ほう」
フレッシュマン…大学などの新入り、
一年生をこう呼ぶ。
しかし獣隊は年齢や勤務年数による分類をしない能力主義だ。
このような呼び方は、一部の中級の隊員の間で蔓延る新人をからかい混じりに揶揄した一種の侮辱である。
「下の階の隊員を、そう呼ぶか?」
確かに、階級が低いほどフロアは下へ行く。
「イエス、サー」
ジエンは首を傾げた
「…クビ」
ジエンはそう言った
だから、当の隊員の両隣の隊員は彼を連れていった
「お、おいなんでだよ!離せ、おい!」
「うるさいぞ部外者」
「お前はクビだ、早く歩け」
「う、裏切り者おおお!」
彼らが去るのを見届けもせず、ジエンは他の隊員に言った
「…さて、部屋へ戻れ。
私が下を巡回する」
その一言で寮内の隊員達は大人しく寝床へ戻った。
「…何故だ」
ジエンが声が聞こえてきたと聞いた地下一階では、誰一人として隊員の姿が見当たらない
誰も声に気づいていない?
いや、それはあり得ないだろう
まさか、誰もいない…?
「誰かいるか」
声をかけるが、返事はない
ジエンは嫌な予感を抱きつつ部屋の扉を一つ一つ開けて行った
「…何故だ」
ところが、隊員は健やかに眠っているだけだった
「何もなかったというのか」
ジエンはあまりに平穏な状況に不安を覚えた
しかし、002号室の扉だけ、鍵がかかっていた
彼は額を抑えた
「…お前達」
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