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ようやく顔を上げた男は、どこにでもいる平凡な顔立ちだった。多少垂れ眼のようにも見えたが、顔の全面に「申し訳ない」と押し出ていたのでそう見えたのかもしれない。
「俺の原稿どこやった…?!」
だが、市ヶ谷はそれどころではない。手にした原稿の束を持って男の前に行くと、その顔に用紙を押し付けるようにして叫んだ。
「やめてください、いまお腹いっぱいなんで!」
「幸せか! それどういうことだって聞いてんだよ!」
「そのまんまですって!」
押し付けられる原稿用紙を両手で押し返しながら、男は答えた。
「この原稿はあなたが小説を書いていた原稿で、俺は、その文字を全部食べてしまったんです!」
そんな馬鹿な…
市ヶ谷には到底受け入れられない発言であったが、手にしている原稿は真っ白なのだ。
葛藤する市ヶ谷に、男はどうしたものかと困った顔をする。だが、すぐに壁に掛かっているカレンダーを見つけると、男は立ち上がってそれに指先を添わせる。
「こういうことです」
5×7のマス目に並べられた中の4の数字の上を、彼の指先が摘まみ取るように動いた。
というか、4を摘まんだ。
「え」
するりとカレンダーから抜き取った4を、男はぱくりと口に入れてしまう。
残ったのは、4を欠いたカレンダー。
最初からそこは空いていたのだと錯覚しそうなほど、違和感がない。
「不味いすわ」
「あ、はい」
もぐもぐとしていた男のぞんざいな感想に、反応のしようがない。
市ヶ谷はもう一度、自分が手にした原稿を見下ろした。
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