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「『ふっふっふ、無敵のヒーローもここまでのようだな』『暗闇から忍び寄るような声があたりにこだました』『くそっ…、だれだ、姿を見せろ!』『誰もいるはずのない空間へ一太は声を』───
あ、先生、手が止まってますよ! ほら、早く書きとってください、もう一度繰り返しますから」
わくわくとした男の声が、市ヶ谷を天真爛漫に叩きのめす。
できることなら握りしめている鉛筆を放り投げ、両手で耳を押さえて塞ぎたい。
「うそだろおおお…… こんな、こんな羞恥プレイ…」
きっと市ヶ谷は泣いていい。
男が提示した案とは、『読み上げの書き取り』だった。
食べた文字列を、男は一字一句正確に語ることができるのだという。それを書き起こしてもらえば、まったく同じ原稿ができるし、なにより語っている間は男は文字を食べることはできない。
なんてすばらしいアイディア! 「羞恥が殺しに来てる!」
いや、冷静になって考えてみれば、プロ作家の方でも自分の文章を読み上げて相手に聞かせ、文字の流れが滞ってないかなどをチェックしている… という話を聞いた。
この手法はれっきとした実績のある方法で…
「『やめろ! 桃花に手を出すな!』『きゃーっ たすけて、一太!』」
「やめろください、死んでしまいます…!」
ドン、と壁が鳴るので、ああ(社会的に)死んだのだ、と市ヶ谷は静かに目を閉じた。
そして、そんな状況とは対極に仁王立ちしている男が、キラキラと輝く笑顔で市ヶ谷を振り返る。
「先生、進捗どうですか、そろそろ俺が一番好きなシーンですよ!」
「くそおお絶対嬉しい言葉なのに複雑な気持ちにさせやがってええええ…!!」
なぜ純粋に諸手を上げて喜ばせてはくれないのか。
涙で滲むのを堪えながら見上げた男の顔が、ただひたすらに嬉しくてたまらないという色に溢れていたのが、せめてもの救いだろうか。
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