クルーズ船『大日』・屋上デッキ

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クルーズ船『大日』・屋上デッキ

「行くぞ!」  悠輝は朱理と紫織の験力を()き集める。彼が何をしようとしているか察しているのだろう、『鬼』が吠えて再び威嚇した。朱理が精神的な攻撃は防いでくれるので、悠輝は攻撃に集中できる。我が姪ながら本当に優秀だ。(わず)か三年足らずで、よくここまで成長したと思う。   朱理と紫織は何としても守る。  今はもう一人絶対に守りたい女性(ひと)がいる。だからこそ、ここで『鬼』を斃さなければならない。 『鬼』が身をよじり槍の位地をずらす。少しでも験力のロスを増やそうというのだ。   逆に言えば、(たお)せる可能性も高いって事だな。  (もち)(ろん)、そんな保証は無い。斃されないまでも、大きなダメージを与えられるのは間違いないのだ。それを避けようとしているだけとも考えられる。   信じてやるしかない。  悠輝は験力を放った。ところが次の瞬間、何かが炸裂し、気付くと眼下に漆黒の闇が広がっていた。いや、闇ではない、海面だ。何がどうなっているのか解らないが、とにかく全身に痛みを感じ、験力の足場を作り出せず海中に没した。 〈おじさん!〉 〈おぢちゃん!〉  朱理と紫織が同時に叫ぶ。その声が混乱を鎮めてくれた、まんまと『鬼』の罠に掛かったらしい。(あえ)て悠輝を近づけて妖力を放ったのだ。それが悠輝達の験力とぶつかり合い弾けて、彼は吹き飛ばされた。『鬼』は衝撃波を想定していたため、ダメージを受けてはいない。 悠輝は痛みに耐えて精神を集中させると、海面の方向を確認して浮上する。そして験力の足場を作りだし、クルーズ船のデッキへ近づく。  案の定、『鬼』が妖力で攻撃してきた。想定済なので素早く避けながら、間合を詰めていく。()(かく)、何とか近づいて動きを封じ、験力を注ぎ込むしかない。時間をかければかけるほど、こちらの験力は消費され不利になっていく。しかし、『鬼』もそのことは理解しており、一定の距離を詰めると妖力による攻撃が激しくなった。 「クソッ、近づけない!」  思わず悪態が口を吐いた、姪の前では意識して使わないようにしてきたのに。   『鬼』退治はあきらめるか……  悔しいが『鬼』を斃すのは(あきら)めて、封印に移行するべきだ。無理をして朱理と紫織を危険にさらすことは出来ない。   だが、確実に封印できるのか?  高校生の頃、法眼から封印の方法は学んでいる。しかし、魔物や悪さをする思念体は滅するか浄化しているので、封印をした経験は無いのだ。一〇年以上前に学んだだけの方法をいきなり『鬼』で試して成功させられるのだろうか。   迷ってる時間はない! 「朱理、紫織、『鬼』退治は中止だ」 〈えッ?〉 〈なんで?〉 「すまない、おれが甘かった。このままじゃ験力を削られて、斃すどころか封印すら不可能になる」 〈じゃあ封印に変更するの?〉 「ああ」 〈成功する確率はどれくらい?〉  朱理は精神力だけでなく思考力も成長している。 「正直、フィフティーフィフティーってところかな。封印のやり方は知っているけど、やったことがない」 〈それで五〇パーセントも成功する確率があるの?〉 「どうなるか判らないから、フィフティーフィフティーだ」 〈失敗したら、どうなるの?〉 「その時は、こっちが『鬼』に退治される」 〈それじゃ、ダメじゃん!〉  朱理より先に紫織にツッコまれた。 〈自分に何かあったら、わたしたちはお母さんに任せるとか、また言うつもりでしょ?〉  朱理は読心術を使わなくても、悠輝の考えていることが解るようになったらしい。その通りだ、悠輝が『鬼』に殺され、遙香も魔物を斃しきれなかったとしても、朱理と紫織だけは何とかするはずだ。 「全滅するわけにはいかない。特に朱理が今いなくなったら、ブレーブはどうなる? 『デーヴァ』の収録は?」 〈それは……〉  こちらも朱理の弱点は熟知している。責任感の強い姪には、周りに迷惑を掛けることを指摘してやればいい。 〈おぢちゃんは、せっちゃんを、のこして死んじゃっていいの?〉 「え?」  悠輝は我が耳を疑った。紫織が言う言葉とは思えなかったからだ。 〈紫織、どうしたの?〉  朱理も同じことを思ったのだろう、動揺した声が悠輝の頭に響く。 〈だって、おぢちゃんはせっちゃんがスキだし、せっちゃんもおじちゃんのことスキなんでしょ? おじちゃんが死んだら、せっちゃんが泣いちゃうよ〉  昼間に見た、刹那の泣き顔が脳裏に浮かんだ。彼女をもう悲しませたくはない。   おれだって死にたいわけじゃないが、このままじゃ……  遙香が魔物を斃し終え、助けに来るのを待つか。しかし、数百の魔物を相手にした後で、鬼を封じる験力が残っているのだろうか。そもそも、それまで時間を稼ぐことが自分たちに出来るのか。   くそッ、悩んでいても仕方がない。 「紫織、叔父ちゃんは死ぬ気なんてないし、おまえたちを死なせるつもりもない。とにかく、今やれることをやる!」  悠輝は『鬼』に向かって空を駆け、突き進む。近づけば、当然の(ごと)く『鬼』が妖力で攻撃を再開する。悠輝はギリギリで避けながらデッキに近づいていく。彼には二つの呪を同時に使うといった器用な真似は出来ない。空歩術を使っている間は、韋駄天真言で加速できないのだ。『鬼』の攻撃を避けられるのは、朱理と紫織の験力と精神が加わっているお陰だ。  どうにかクルーズ船のデッキに辿(たど)り着き、韋駄天真言を唱えて加速しようとする。 「グッ」  鋭く伸びた『鬼』の爪が、己の腹部を貫いていた。 〈おぢちゃん!〉  紫織の悲痛な叫び声が頭に響く。朱理は驚きの余り、何も言えないらしい。  再び相手の罠に掛かってしまった。『鬼』は悠輝の考えを見抜き、わざとデッキに辿り着かせ、真言を唱える隙を狙って襲ってきたのだ。想像以上の素早さで近づかれたため、(とつ)()に急所を外すのが精一杯だった。このまま爪を引かれれば肉と内臓を切り裂かれる、そうなったら即死は(まぬが)れても意識を保つことは出来ない。  悠輝は自分の腹を貫く、『鬼』の右手首と胸に突き立つ槍の柄を握った。左手や牙、脚の攻撃は無視して、生命(いのち)の続く限り験力を流し込んでやる。 〈おじさんッ、逃げて!〉  悠輝の考えを察したのだろう、朱理の精神も叫んだ。しかし、この傷では逃げ切ることは不可能だ。自分が何とかしなければ、意識の無い朱理と紫織、それに刹那達まで危険に(さら)してしまう。 「グゥオォオォオォ……」 『鬼』が叫ぶ、悠輝が流し込む験力に苦しんでいるのだ。左腕を振り上げ、爪を伸ばす。あの鋭い爪で首を()ねられればそれまでだ。  悠輝は怯まず、槍の柄から験力を注ぎ込み続ける。 〈おじさん!〉  最悪の状況を思い浮かべ朱理が、悲痛な声を上げる。だが、『鬼』の腕は振り下ろされない。 「まったく、父親に似て、無茶なことばかりするな」 『鬼』の腕を慧眼が背後から掴んでいる。 「危険だッ、離れてくれ!」 「気にするな、御前は験力を注げ!」  法眼の姿が慧眼に重なる。 「また、出てきやがって……」  父親のしぶとさに、一瞬痛みを忘れて苦笑が浮かぶ。 「じゃあ、遠慮なく。朱理、紫織、行くぞ!」 〈うん!〉 〈わん!〉  再び悠輝は、己と姪二人の験力を合せ『鬼殺しの槍』へ注ぎ込む。『鬼』は口を大きく開いて悶え始めた。悠輝は験力を限界まで増量する。  ところが験力が思うように注げなくなっていく、『鬼』が抵抗しているのだ。 「悠輝、急げ」  静かに法眼が言った、恐らく限界が近いのだ。それは悠輝も同じだ、腹部からの出血が(ひど)く、意識が(もう)(ろう)としてくる。 〈おじさんッ、しっかりして!〉  朱理の声にも緊張が(にじ)む。姪達を朱理の肉体に移動させた方が良いかも知れない。 〈アタシ、おぢちゃんといっしょにいるからね!〉  唐突に紫織が言った。 〈おぢちゃん、アタシたちがいなくなったら、死んじゃうんでしょ? だからアタシ、おぢちゃんから、はなれないんだから!〉 「紫織……」  (まい)った、朱理どころか紫織にまで考えを見透かされている。 「大丈夫だ、そう簡単にはあきらめない!」  視線を慧眼に向けると、慧眼と法眼が頷いた。  改めて験力を送り出す。『鬼』も必死なのだろう、やはり思うように注げない。   もっともっと験力を集めなければ……  しかし、気力も体力も限界だ。紫織の験力も出来る限り引き出している。   あきらめるものか……  気持ちだけでは現実は動かせない。悠輝は『鬼』だけではなく、己の心に広がる絶望とも戦っていた。   これまでなのか……  絶望が『鬼』よりも先に、悠輝を斃そうとしたその時、悠輝達の験力を何者かが後押しをした。 「父への引導は私が渡す!」  空が悠輝の隣に立ち、『鬼殺しの槍』の柄を掴んでいる。 「信者達はどうした?」 「ここには来るなと命じてある。私が命じたんだ」  まるで憑物が落ちたかのように生気に満ちている。 「じゃあ、法力(ちから)を貸してくれ」 「違う、お前たちが私に験力(ちから)を貸すんだ」 「どっちでもいい、やるぞ!」  空の法力が加わったことで『鬼』の妖力を押し戻し、槍に験力を注ぎ込めるようになった。 「父さんッ、もう終わりにして!」  空が叫ぶと同時に仏眼の中の何かが砕けた。『鬼』の存在が消滅し、仏眼の肉体が急速に崩れて灰になっていく。 「うぅ……」  悠輝は腹部を押さえながら倒れ、意識を失った。
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