芦屋邸

1/1
前へ
/106ページ
次へ

芦屋邸

 (あし)()(かん)(ぞう)は内閣総理大臣公邸を使用せず、都内の私邸に住んでいる。  その日も公務を終え、夜遅く私邸へと戻ってきた。公務と言っても財界人との会食だ。  四日前、求道会の本部がガス爆発を起こし、会長代理の弓削朋美と副会長の佐伯仏眼が亡くなったこと、そして求道会が福島県郡山市にある戌亥寺を放火したことが報じられた。求道会とは現在連絡を取ってはいない、この状況で接触するのは危険だ。ただでさえ求道会との繋がりが問題視されているのに火種を増やしかねない。寛造はこの手のことには、野性的な勘が働く。  今日の会食も、次の選挙で求道会の異能力(ちから)を当てに出来なくなったため、地道な根回しをしてきたのだ。   まったくぅ、使えないヤツらだぁ!  こんな事ならカルト教団の力を頼るのではなかった。そもそも寛造は超能力の(たぐ)いは嫌いだ。かつて弟に超能力があるという娘が生まれ、色々問題を起こされている。父親の芦屋寛太郎(あしやかんたろう)の地盤を引継ぎ、立候補しようとしているデリケートな時期だったので、寛造は弟に命じて姪を養子に出させた。ところが皮肉なことに、政界に入ると求道会から、色々と支援を受けることになったのだ。その中にはいかがわしい超能力による『票集め』と『支持率の増加』も含まれていた。  求道会を後ろ盾にしてから民自が政権を取り戻し、寛造は八年以上の長期政権を維持していた。つまり彼らの力を認めないわけにはいかなかったのだ。そのため様々な便宜を行なってきた。   恩知らずにもほどがあるぅ!  自分がどれだけ求道会の恩恵を受けていたかを完全に忘れ、寛造は(いら)ついて口をへの字に曲げて顔を歪ませた。  評論家の中には、求道会がテロを画策し用意していた爆弾が暴発したのではないかと言う者や、『カルト潰しの幽鬼』として知られる鬼多見悠輝にテロ計画を知られ、彼の実家に放火したのではないかと言う者までいる。  しかし、これらの情報が正確ではないことを寛造は知っていた。少なくとも求道会本部が爆発した後に、朋美と仏眼がクルーズ船『大日』に行ったのは間違いない。つまり、彼女たちは本部の爆発で死んではいないのだ。『大日』でも何か問題が起ったようだが、求道会とは連絡を絶ったので詳細は判らない。しかし、ツートップを失ったのは間違いなく、求道会の求心力が一気に低下したのも事実だ。  寛造は書斎と呼んでいる自分の部屋へと向かった、着替えるためである。この部屋を書斎と呼んでいるが、彼は本を(めつ)()に読まない。この部屋にある本も献本された物が(ほとん)どで、彼は眼を通していなかった。秘書に読ませ、著者と会う時に前もって内容を確認し、読んだ振りをしている。だからこの部屋の実体は、読まない本の置き場と彼の巨大クローゼットだ。  部屋に入ると灯りが点いており、ソファに一人の女性が座っていた。 「お帰りなさい」  女性は妖艶な微笑みを浮かべた。 「だ、だれだぁッ?」 「ヒドいわね、伯父様。姪の顔を忘れるなんて」  何を言っているんだこの女は。それより警備は何をしている。 「一般人なんかに私を止めることなんて出来ない、知っているでしょ? だって伯父様は、私のその異能力(ちから)が邪魔で、芦屋家から追い出したんだから」  寛造はようやく眼の前の女が誰かを理解した、芦屋満留。異能力で周囲の人間を傷付けるなどの問題を起こしていたため、選挙への悪影響を恐れて養子に出させた姪だ。 「ど、どうちてここに?」  満留は口元に再び笑みを浮かべた。 「私の主からのプレゼントを持ってきたのよ」 「プレゼントぉ? そんな物ぉ、いらない!」  どうせ(ろく)でも無い物だ。 「そう言わずに受け取りなさい。あんたみたいなクズとは違って、本来この国を……いいえ、この世界を支配すべき方からの贈り物なんだから」  満留は立ち上がり、寛造に近づく。その右手には護符が握られていた。 「だれかぁッ、だれかぁ来てぇ! 侵入者だぁッ、ケーサツを、ケーサツを呼んでぇ!」  寛造は声を張り上げたが誰も来ない。待ちきれずに部屋から飛び出そうと、ドアノブに手を掛けるが、全く動かなかった。 「あ、開かない……」 「逃がすわけないでしょ?」  満留が小馬鹿にしたように嗤う。 「わ、わかりまちたぁ、目的はなにぃ? お金ぇ? それとも地位? それならボクの秘書にちてやりましゅ! そして、将来は代議士に……」 「そんなモノ興味ないわッ。私はアンタとは違うの、アンタみたいなクズじゃない。私の望みはただ一つ、遙香様に仕えること」  満留の瞳に狂信的な光が宿る。彼女は力尽(ちからづ)くで寛造の口を()じ開けると、護符を()じ込んだ。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加