ミサキ

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ミサキ

 ミサキが自らこの世を去ったのは、今から二年前のことだった。   高校三年の冬、寝坊をして電車に乗り遅れた事があった。みぞれの降る寒い日だった。     ギリギリの所で電車を逃し、独り駅の待合室に佇む私の元にミサキから電話が来た。 「もしもし!」  無駄にでかいミサキの声が耳に刺さった。電話越しに、電車の走る音が聞こえてくる。  うるさいのでスピーカーに切り替え、ひとり駅の階段を登った。 「ごめんね待っててあげられなくて。でも私遅刻欠席常習犯だから。理英ははじめてだから許してもらえるでしょ」  ミサキはそう言うとゲラゲラと笑った。彼女は、よく学校をサボるタイプだった。 「っていうかさっき転けたよね! ウケる」 「見なかったことにしてよ……」  私がそう返した時、突如電話の向こうで悲鳴のような警笛が鳴り響き、ガタン! という大きな音がして、会話が途切れた。   「ミサキ……?」  返事はなかった。代わりに聞こえてきたのは、知らない誰かの声だった。 「轢いた? 今轢いたよね?」 「まじかよ」 「見える? 写真撮れそう?」  何が起こったのかは安易に想像できた。冬にも拘わらず、額にじわりと汗がにじんだ。  それから一分ほどして、ミサキの声が戻ってきた。 「もしもし? あーあ。スマホの画面割れちゃったよ」 「何かあったの?」  既に想像はついていたが、私は尋ねた。 「Y駅の近くで急に止まったの。人、轢いたみたいだよ。今、真下にいるっぽいの」  ミサキはやけに冷静にそう言った。 「えっ、ほんとに? ほんとに人なの? 鹿とかイノシシじゃなくて?」  正直信じたくなかった。「誰かが死んだ」 そう考えただけで、一気に血の気が引くのがわかった。 「人だよ。窓から見えるってさ。千切れた脚。また自殺じゃないかな」  しかしミサキは至って冷静にそう言った。 「気持ち悪っ。大丈夫? ミサキは見てない?」 「うん。私は大丈夫。でも、一旦切るね」  それから暫く連絡が途絶えたが、十五分ほどして、またミサキの方から連絡がきた。 「警察とか救急車とかめっちゃきた。今ブルーシートかけてる。なんか野次馬まで来てるよ。写真撮ってるんだけど……人身事故って毎回あんな感じなのかな」  どうせSNSにでも載せるのだろうと私はぼんやり考えた。 「何かが見つからないって言ってる。何が見つからないんだろう?」  一方ミサキは淡々と状況説明を続けた。私は何と返せば良いかわからなかった。よせばいいものを、私は事故現場を頭の中に思い描き、背筋を凍らせていた。 「……じゃあ、どのみち遅刻だったね」  数秒間の沈黙の末、私は絞り出すように返した。 「そうだね。なんか周りの人もイラついてる。会社や学校に行けないって。いつもは行きたくない行きたくないって言ってるくせに」  ミサキがそう返したところで、また会話が途切れてしまった。何とも言えない不気味な沈黙だった。私はどうにかして会話を繋ごう試みた。どうしても黙っているのが怖かったのだ。 「あっ、そうだ。そういえばそこ、Y駅でしょ? もしかしてあの病院の患者かも」  私は何となくそんなことを言ってみた。「あの病院」とは、後に私が働くことになる紫苑記念病院のことだ。この時まだ病院はできたばかりで、皆奇妙なものを見る目で見ていた。心療内科や精神科なんてこの田舎町には存在しなかった為、あまり理解が進んでいなかったのだ。  実際、私も良いイメージを持っていなかった。「変な人が外から入って来そうだから嫌だ」という話を以前ミサキにしたこともあったくらいだ。自分の理解の届かないところにいる人間が生理的に苦手だった。それは病気に限った話ではなく、とにかく普通の状態から逸脱した人間がとても怖かったのだ。彼らは、いつか自分もそうなってしまうのではないかという不安を抱かせる。  ミサキが何も言わないので、私は何気なくTwitterで駅名を検索してみた。  案の定、ブルーシートの掛けられた事故現場の写真が数件投稿されていた。その様子に、特に疑問はわかなかった。人が死ねば当然皆が興味を持つ。好奇心を共有して、自分と同じ人間がいることを知り、心のどこかで安心している。 「……首」  ミサキがぽつりと呟いた。 「首が見つからないんだって」  私が言った病院の話に対しては、何の反応もなかった。 「見つかるまで電車、動きそうにない。これは遅刻確定だなー」  ミサキはそんなことを言ってため息をついた。それに対して、私は答えた。恐怖を誤魔化す為だったのだろうが、それは衝動的に飛び出た言葉だった。 「まじで迷惑だよね。大勢の人巻き込んでさ。死にたいなら一人で勝手に首でも吊っとけばいいのに。なんでわざわざ皆に見えるところでやるかな。まあ、そんな性格だから人生うまくいかなかったんだろうけど」    ミサキが死んだのは、それから二日後のことだった。十二月二十日。遺書は無かった。
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