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旧友
十二月上旬。中学時代の友達、可奈から食事に誘われた。
「理英久しぶり~。元気にしてた?」
よく晴れた日曜日。薄暗い部屋で特にする事もなくぼーっとテレビを見ていると、突然スマホが鳴ったのだった。
無職になってからというもの、時間は飛ぶように過ぎていき、貯金はあっという間に減っていったが、先のことを考えられる程のまともさは殆ど残っていなかった。だらだらと過ぎ去る時間の中で、私はただただじっと息を潜めていた。
「聞いてよ。真央が今度結婚するんだって!」
へらへらした声が頭に突き刺さった。何故今なのか、何故よりによってこのタイミングなのか。私は何の罪もない可奈を呪った。
「急に電話してごめん。理英今日休みだよね?」
「……うん。休みだよ」
数秒の沈黙の後、私は答えた。
「まだ病院で働いてるよね?」
「……うん」
息を吐くように嘘をついたが、罪悪感はなかった。ただ「普通の人間」でいたかった。皆と違う、歪な存在であることを知られたくない。詮索されたくないし、踏み込まれたくない。触れられたくない。
「無理しなくていいんだけどさ。今度の日曜日、ご飯でも食べ行かない? 久しぶりに皆で集まろうよ」
断ってしまいたかった。でも、そうすると完全に世間から置いていかれてしまうような気がして怖かった。他人の親切すら素直に受け取れなくなったら、今度こそ完全に孤独に突き落とされるように思えた。普通の人間ではなくなってしまう。
だから私は答えた。
「いいよ。行こう」
一週間後、市ヶ谷にある有名なハンバーグ屋で、私達は数年ぶりに顔を合わせた。みぞれ混じりの雨が降る、寒い日だった。ここのところ殆ど寝たきり状態の生活を送っていたにもかかわらず、私の不眠は治るどころか更に悪化し、目の下にできた隈を消すのに手間取っていたら十分も遅刻してしまった。
メンバーは、近々結婚予定の真央、大学生の可奈、大手製鉄会社で一般事務員をしている亜依、そして仕事をクビになった私の四人だった。
「みんな変わってないねー。ちょっと大人っぽくなったけど、あの時のまんまだね」
可奈が言った。私は立場上、よくもまあそんなことが言えたなと思ったが、同時に自分が何の疑問も持たれずにこの場に馴染んでいることにひどく安心した。
しかし久しぶりに顔を合わせた四人だ。近状報告をし合う流れになるのは必然だった。真央と婚約者の馴れ初めの話が終わり、亜依が職場にいるイケメンのを話し始めた時、次は自分に話を振られるに違いないと思い、私は時間稼ぎのためにハンバーグを口いっぱいに押し込んだ。
「仕事といえばさ、理英も社会人じゃん。今どんな感じ?」
「病院って大変そうだよね。今年ももうインフル出始めてるし、なんか今年のやばいらしいじゃん」
「やっぱ忙しいの?」
ほとんど味のしないハンバーグを咀嚼しながら、事前に考えてきた台詞を引っ張り出す。前日ろくに眠れなかったせいで相変わらず頭がぼんやりしていたが、噛むという行為が集中力を高めてくれたのか、思いの外滑らかに言葉は滑り出てきた。
「うん。最近は特定検診や予防接種受ける人が増えてきて、ちょっと忙しいんだ」
私の身には何もおかしなことは起きていない。過去に誰も死なせていないし、身も心も健康で、仕事は順調だ。皆と同じ。クビになんてなっていない。私は頭の中にもう一人の模範的な自分を作り上げていた。
「やっぱ理英ってそういう仕事似合ってるよねー。大学行くのやめるって聞いた時はびっくりしたけどさ。しっかりしてるし、優しいし、患者さんにも人気ありそう!」
可奈の屈託のない笑顔が私の心を抉った。彼女は昔から純粋で、軽々しくお世辞を言うようなタイプではなかった。彼女の本心から出たであろう誉め言葉は、返って私の態度を萎縮させた。
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