カフェイン

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「ミサキが生徒会長を?」 「あー、それも聞いてなかったんだ」 「中学時代の事は殆ど聞いたことがなかったと思う。本人が何も言わなかったし、私も訊いた覚えない」 「黒歴史だからね。本人にとっては。消したい過去だったのかも」 「なにそれ。それだけ酷いいじめだったってこと?」 「俺は殆ど幽霊状態だったし、ミサキもいじめの内容については話してこなかったから、そこまで詳しいことはわからないけど、噂くらいなら……先輩のグループに呼び出されたとか、靴箱や机に画鋲入れられたとか、濡れた雑巾顔に投げつけられたとか」  想像がつかなかった。あのミサキが、あの明るくて、皆に好かれていたミサキが真逆の立場に置かれていたというのだ。 「それでもミサキは生徒会長を辞めなかったし、不登校にもならなかった。完全に孤立してたし、面白いことなんて一つもなかっただろうに。こんなクソみたいな学校の為によくやるなと思って見てた矢先、あの一言をぶつけられた」  『好きな時に休めるなんて羨ましい』  中学生の女の子が放ったその一言に、どれだけの思いが込められていたのだろうか。  問題のある環境で生活しなければならない時、取るべき行動は二つある。一つは自分自身の行動を変えること。そしてもう一つは、置かれた環境そのものを変えること。おそらく木戸くんは前者で、ミサキは後者だったのだろう。 「ミサキにとって、俺はクラスの中で一番都合の良い人間だったと思う。事情をよく知らないし、休んでばっかだから周りにも溶け込めてない。でも話しかけてくるのは決まって掃除の時間だけだった。真面目に掃除やってるやつなんていないから、誰にも見られないと思ったのかも。見られれば俺もいじめられるわけだし。……別にそんなことはどうでも良かったんだけど」  お互い見た目も思想も違ってはいたものの、のけ者という意味では似た者同士で、「こんな環境はおかしい」という価値観も一致していたのだろうか。  木戸くんは話を続けた。 「何度かミサキに訊いたことあったよ。こんなクソみたいな学校に尽くして何になるんだって。そんなに嫌なら逃げなきゃ駄目だって。そしたら『自分から手を出した事だから、他に選択肢はない』ってさ。『自分が辞めたらまた違う誰かがいじめられるか、ボス猿の息のかかった奴がいい加減な仕事をするだけ』って」 「そんな……先生は何もしてくれなかったの?」 「その辺、よくわからない。でも先生の力でどうにかなるくらいなら、そもそもあそこまで学校が荒れることってないと思うね。たぶんだけど、ミサキは先生達からは期待されてるっていう面倒な立場にいたんじゃないかな。実際ミサキをべた褒めしてる先生もいたし、内申点は学校一だったろうね」 「辞めるに辞められない状況が作られてたってこと?」  私がそう言った時、マスターがコーヒーのおかわりとアーモンドケーキを運んできてくれたので、お礼を言ってカップに口を付けた。 「古見さんってコーヒー好きなの? いつもそれしか飲んでないけど」  木戸くんは眉間にしわを寄せて言った。 「好きっていうか、何だろう? 元々は眠気覚ましに飲んでたんだけど、気付いたらハマってて。少しでも眠くなると飲まずにはいられなくて」  眠くなったところでどうせ殆ど眠れやしないのだが、いつの日からか眠気というもの自体に恐ろしさを感じ始め、衝動的にカフェインを摂取してしまうようになった。仕事を辞めれば少しはマシになるかと思ったが、少しも変わらないどころか、むしろ増えたような気もしていた。 「それ、まずいやつじゃないの? 他の飲み物もあるけど?」 「うん……まあ、別にいいよ。もう口付けちゃったし」  私は木戸くんの気遣いを無視して再びコーヒーを口に含んだ。しかし、直後に身体に違和感を感じた。  どうも手足が痺れるのだ。終いには吐き気と動悸が同時に襲ってきて、私は思わず椅子からずり落ち、その場にうずくまった。身体がぶるぶると震え、目の前が霞みはじめた。得体の知れない恐怖に、頭が支配されていく。 「駄目かも」  何とか絞り出せたのはその一言だけだった。
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