宙の籠

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宙の籠

 ふと目を覚ますと、天井から吊るされた鳥籠が見えた。  あり得ないことだがそこから鳥の尻がはみ見出し、僕の顔めがけてフンを落としてきた。  緑色をしたその物体が何であるかを一瞬で判断した僕は、間一髪でそれをかわすことができた。  なぜなら僕はそういう事態に備えていたからである。  この前は天井から蟲が落ちてきた。  顔面への直撃はかわすことができたが、奴は僕の左の肘のあたりに落下し、思い切り跳ね上がった後、行方が分からなくなった。  今でも時々夜中にガサガサいっているのは、きっと奴に違いない。  他にもいろいろあるが、ともかく今回は鳥のフンだった――糞(くそ)!  僕は起き上がり、どういう理屈で天井からぶら下がっているのかわからない宙ぶらりんの鳥籠の中を覗きこむ。そこに三羽の鳥の存在を確認した。  何故三羽いるんだ?  普通この大きさの鳥籠なら一羽だったと思ったが、それはこの際、どうでもいい話だ。  いつから鳥籠が天井からぶら下がっているのかわからないし、正確に言うのならば、ぶら下がっているのではなく“宙に浮いている”のである。  これはマジックか?  僕はシルクハットの中から白いハトが飛び出す手品を思い浮かべ、そして人が宙に浮かぶ手品を思い浮かべ、当たり前のように宙に浮いた鳥籠の上に手をかざそうとした――だが、それをする前に事態は一変する。  籠の中の鳥は大きな黒い九官鳥とその子供と思しき小さな二羽がいて、どうにもせまっ苦しい。 「苦しそう」と思うまでもなく、見た目に苦しんでおり、大きな一羽が体を大きく揺らし、お尻を無理やりに籠に押し付け、まるでアルミの針金のように籠は変形し、お尻の部分がはみ出している。そしてそこからフンを垂らす。  なんてひどいことを!  僕の布団になんてことをしやがる。  まるで洗った記憶のない汚れたシーツにきれいな緑色の水彩画が描かれていく。  僕にはそう見えたが、鳥にとってはただのフンである。  わかった。  お前の抗議を受け入れようじゃないか。  僕は籠から大きな九官鳥を引き抜き、籠をもとの形に戻した。  大きな九官鳥に押しつぶされていた小さな二羽は力なく鳴き、僕は命がすっかり削られてしまっていることに憤りを感じ、大きな九官鳥を睨みつけた。 「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」  大きな九官鳥は誰かの口真似をする。  ここには僕しかいないのだから、いったいどこの誰の物まねなのかと腹を立て 「そんなふうに教えたつもりはないぞ。この野郎」と威嚇する。  九官鳥は怯えていたが飛び方を忘れたのか、まるで逃げようとしない。  僕は窓がしっかりとしまっていることを確認して、九官鳥を放り投げる。 「飛んで見せろ」  九官鳥は十分に飛ぶ準備が整わなかったらしく、自分が落としたフンの上に落下した。  不本意そうな顔で一度僕を見上げ、そしてあの言葉を繰り返した。 「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」  窓の外を眺める。  外は曇り。  今日も僕はずっとここに居る。  外にでる必要はない。  しかしシーツを汚されたので眠ることもできない。  僕は手元から鳥籠を元の宙にもどそうと思ったのだけれど、どうにもいけない。  種のわからない手品を、どうして僕がすることができようか。  鳥籠の中は酷く汚れていて不衛生だったので、このままそのあたりに置いておくこともできない。  誰かに助けを求めようにも、ここには僕と大きな九官鳥と死にかけた二羽の小鳥しかいない。  餌はどうする。水はどうすると考えるより先に僕はお腹が減っていることに気づいた。  あとはもうすることは決まっている。  なんだ。  これは僕の食事だったのか。 「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」  僕は食事の支度を始めることにした。 「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」  大きな九官鳥は部屋中を叫びながら歩き回る。ふと部屋の隅を注視し、飛ぶというよりは跳ね上がって床の何かをくちばしでつついた。  それはこのまえ天井から落ちてきた蟲だった。 「あれはお前の餌だったのか」  大きな九官鳥は蟲をくわえたまま、翼を羽ばたかせ、不器用に僕が持っている鳥籠の上に飛び乗った。好都合だ。とっ捕まえる手間が省けた――そう思ったのだが、大きな九官鳥はくわえた蟲を鳥籠の中に落とした。籠の中の小さな二羽の九官鳥は、目の前に落ちた餌に反応し、食べようとする。一瞬早く、向かって左側の九官鳥が餌をくわえ、一気に飲み込む。  その様子を見届けると、また大きな九官鳥は部屋の中を歩きまわり、蟲を見つけて籠の中に放り込む。また左側の九官鳥が食事にありついた。  そこには分かちあおうとか、順番とか、どっちが兄でどっちが弟なのかとか、そういう面倒なルールは存在しない。  強い者が餌にありつけ、弱いものはそれを見届けるしかない。 「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」  食事をする順番まで押し付けられているような嫌な気持ちになったが、僕はそれに従い、食い損ねた小鳥を籠から取り出した。 「お前、もっとおいしそうな顔をしろよ」  無理な注文だとわかっていても、僕はそう言わざるを得ない。  はたして僕は、お前をうまそうに食べることができるのだろうか。  きっとそれは、できないだろう。  窓の外は曇り。  僕はずっとここにいるしかないのだから……。
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