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 「肝試しってここ?」  「そうそう。最近鍵が壊れてて開いてるんだよ」  「先輩の話だと、この先に小さい祠があって、その前に縄が張ってあるらしんだ。その縄を取りに行くのが今回の肝試し」  「え~。縄なんてとっても大丈夫なの?」  「大丈夫だよ。飾りみたいなもんだろ。それに、誰も来ないから無くなっても分からないよ」  「そっか、じゃ。行くよ」  「よ~い、スタート!」  大学生くらいの男女が数人。長い階段をスマホのライトで照らしながら登っていく。  裏山へ続く階段に山からユラユラと風が吹き下ろす。  まるで、早く登ってくるように誘っているようだ。  「いち!」  「エイっ!」  「に!」  「エイっ!」  「さん!」  「エイっ!」  先生の掛け声に合わせて、生徒が声を張る。  水曜日の19時。  近所の小学校の体育館から毎週、聞こえる声。  この空手教室に入れるのは、小学生から。大体の生徒は小学生で、この春、中学生になった子たちも数人いる。  総勢23名。  私は最年長の高校三年生、18歳。酒井未來(さかいみく)。  長年やっているが、黒帯まであと一歩の所で止まっている、根性無しだ。  「未來ちゃん。帯がほどけたから結んで」  小学校一年生の木村雷愛(きむららいあ)君が、まだ真っ白な道着の帯を持ってきた。  夏休みがあと数日で始まる今日は、真夏を思い出すような暑さだ。しかも、まとわりつくような湿度もしっかり肌に感じる。  蒸し暑い体育館は、窓や入り口を開けていても、風が入っている様子も無く、少し動いただけで、汗が噴き出てくる。  雷愛君も汗びっしょりの顔で私を見上げている。  固い帯は一年生の力では上手く締められない。  だから、こういう子たちのお世話は私の役名だ。  「はい。じゃあ、足、踏ん張って」  新しい道着の帯は固くて、普通に結んだだけでは、跳ね返るように緩んで来る。だから無理やり従わすように、力いっぱいに締める。  私は雷愛君の前に両ひざをつき、ぶかぶかの道着を着ている細い体に帯を巻き付けて、力いっぱいに締めた。  緩んでこようとする帯を、力でねじ伏せるように、何度も反動をつけて、引っ張る。  雷愛君は私が帯を引っ張る力に負けまいと一生懸命に足を踏ん張るが、時々よろける。  その姿が可愛くて心の中で笑顔になる。  ここで本当に笑うと、雷愛君の男のプライドを傷つけることになってしまうので、一応、真面目な顔をする。  「はい、OK。後、雷愛君。突きの時、真っ直ぐ前に腕を出すようにね。今、ちょっと上の方に上がってるから、気を付けて」  身振りを交えてアドバイスをする。  「押忍。ありがとうございました」  元気に一礼をすると、自分の場所に戻って行った。  一列に並んで型を練習している姿を見まわして、何気なく開け放された窓を見た。  日が長くなって、いつまでも明るさが残っていた外は、ようやく夜の闇が広がりだした。  空手教室は1時間。20時からは本格的な大人の練習になる。  私も時々練習に参加させてもらうのだが、屈強な大人の男達ばかりなので、自分の未熟さがありありと分かり、練習するたびに心が折れそうになる。  しかし、今日からしばらくは、20時からの大人の部はお休みらしい。何でも、先生の本業の方で夜勤が続くためだそうだ。  藤本克己先生は普段、介護士として勤務していて、見た目はゴツイが、いつもにこやかな目元をした心優しい日本男児だ。  「未來ちゃん。悪いんだけど、雷愛を家まで送っていってくれないか?弟の維嵐(いらん)が熱し出して、お母さんが迎えに来られないんだ」  心優しき日本男児の先生が、申し訳なさそうに私に頼む。  雷愛君は私の家の手前に住んでいるので、お安い御用だ。  「もちろんいいですよ。雷愛君、一緒に帰ろうね」  そう声を掛けると、私は急いで着替え、メイク直しもそこそこに体育館の玄関で待っている雷愛君の元へ急いだ。  「お待たせ。帰ろ」  手を繋ごうとしたけど、かわされたので少し後ろを歩くことにする。  小学一年生でも、もう思春期なのかな?  顔を見られていないのを良い事に、小さな男の背中に笑いかける。  「維嵐君のお熱、高いの?」  すぐ前を歩く小さな頭を見降ろして話しかける。  「うん。幼稚園から帰ってきたら元気がなくて、おでこが熱かった。お医者さんに診てもらったら風邪だって」  命一杯首をひねり、私を見上げて話す顔は、弟を心配する優しい兄の顔だった。  「今日は一人で来たの?」  私が送っていることにちょっと疑問を抱いて質問した。  「ううん。先生と一緒に来。」  頭を横に振って、答える。  「藤本先生?」  「うん。ママがお休みの電話したら、先生が迎えに来てくれるって」  あぁ、そうか。  「送迎が出来ないのでお休みします」と連絡したところ、「よければ自分が迎えにいきます」ってところか。  空手を愛して、空手を好きになってもらいたいと、常々言っている先生らしい行動に、納得。  私もそのお手伝いが出来れば本望だ。  「ねぇ。未來ちゃんの学校も幽霊に魂を抜かれた人、いる?」  「んっ??」  雷愛君の突然の質問に、虚を突かれて返せずにいると、ちょっと得意そうな顔になって話し出した。  「知らないの?幽霊の友達大作戦」  何だそれ?  「幽霊が、生きてる人の魂を吸い取って、友達、増やしてるんだよ」  幽霊が友達を作る?  「雷愛君の学校で、幽霊の友達になった子がいるの?」  私の学校ではまだそんな話は聞いたことが無い。  「うん。学校の友達じゃないけど、おじいさん先生と友達のお姉ちゃんが幽霊の友達になっちゃったんだって」  幽霊とお友達。  なりたくはないなぁ。  あまりそういうオカルトめいた話は得意じゃないので、話題を変えようと、今流行りのアニメの話題を無理やりねじ込んだ。  「お帰り、雷愛。未來ちゃん。ありがとう」  何とかアニメの話で気を引きながら、家に送り届けると、雷愛君のお母さんが迎えてくれた。  雷愛君は「ただいま。」を言うと直ぐに家に入って行った。  「いえ、どういたしまして。維嵐君、お熱高いんですか?」  雷愛君に似たお母さんと少しだけ立ち話。  「そうなの。でも、お薬で今は少し下がって落ち着いて寝てるわ」  「大変ですね。私でよければ、送迎しますからいつでも言ってくださいね」  「ありがとう」  「未來ちゃーん。はい、これ、お礼の豚まん」  雷愛君がお皿に載せて、湯気を立てているホカホカの豚まんを持ってきた。  玄関を開けた時から、いい匂いはしていたけど、その正体を目の前に出される。  「えっ、私に?」  登場と共に、玄関は豚まんの匂いが埋め尽くした。  「ちょっと、雷愛。何持ってきてるの?」  お母さんがわが子の行動に驚いてたしなめる。  「だって、玄関開けたら、豚まんの匂いがしたから」  確かに、いい匂いはしたけど。  「さっき、パパがお土産で買ってきたの。未來ちゃん良かったら、どうぞ」  お母さんは困った顔をしながら、豚まんを進めてくれた。  「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて、いただきます」  私が、湯気を立てている豚まんを手にしようとしたが、熱くて持てない。  「待って、袋に入れるから」  お母さんが急いで奥に行った。  「雷愛君、ありがとう」  得意げに、ニンマリ笑う空手少年と同じ目線にしゃがんでお礼を言った。  「未來ちゃん、これに入れて持って帰って。」  お母さんが紙袋に豚まんを入れて持たせてくれた。  「ありがとうございます。頂きます。じゃ、雷愛君、また来週ね」  「押忍!」  お母さんと雷愛君に手を振りながら別れの挨拶をした。  夏の夜道、女子高生が一人歩くのに、豚まんの匂いを放ちながら歩いていれば、色気も何も無い。だから、不本意ながらも防犯対策になっているのかもしれない。と、複雑な気持ちで持って歩く。  防犯も何も、家はもうすぐそこ。  それに、この界隈でここ最近、唯一警戒するべき場所は、この神社くらいだ。  少し前までは、境内へ続く石段には街灯があったが、新しくするとかで、今は真っ暗で、何も無い。  何となく、闇へと続く石段を見上げた。  暗闇の中、何か違和感を覚えて立ち止まった。暗闇が深まる石段の違和感の正体を確認しようと目を凝らす。  すると、大きな影がユラユラと目の前に現れた。  黒く細長い影が、こちらへ近づいてくる。  「幽霊の友達大作戦」  雷愛君の言葉がよみがえった。  幽霊??  私は近づいてくる影に向かって目を瞑りながらも、反射的にハイキックをした。  「エイっ!」  威嚇のつもりで出した、ハイキックは闇に飲まれること無く、しっかりとした手ごたえを感じて、私までよろけてしまった。  幽霊って、こんなに手ごたえがあるの??  イメージは、煙のように、繰り出す技も空を切るような感じ。  しかし、確かな手応えの正体を確認するため、恐る恐る目を開けると、目の前にあった影は消えていた。  あの手応えは?  恐怖よりも疑問が勝って、しっかり目を見開いて、周りを見渡す。  「痛ってぇー」  低い位置から小さく低い声が聞こえた。  一歩進み、闇の中の石段の下を見る。  黒くうごめく物体がそこにあった。  もう一歩進み目を凝らす。  「いきなりハイキックは、キツイ」  同じ声が聞こえる。  「あの…」  恐る恐る、うごめく影に声を掛ける。  幽霊じゃありませんように。  心の中で手を合わせて祈る。  「大丈夫ですか?」  自分でハイキックを決めておきながら、この言葉を選んでしまうのは間違いかもしれないけど、他に言葉が出てこない。  影はゆっくりと立ち上がり、私に近づく。  しかし、私は距離を保つためゆっくりと後退する。  外灯の明かりがかすかに届くところまで来ると、その影は人であることが確認された。  「あれっ、肩、外れたかも…」  小さく呟き、右肩を押えながら私を見た。  外灯の明かりで、相手を隈なく観察する。  168cmの私が見上げるほどの長身で、顔がよく見えないくらい髪が伸びていて、闇に紛れ込ませるこのようなダークカラーの服装をし、半袖から伸びている腕も日焼けしていて黒い。唯一白いのは、前髪から微かに覗く目、だけだ。  私はまた反射的に、下半身を落とし、いつでも技を出せる体制を整える。  「あれ~。未來ちゃ~ん?」  臨戦態勢の私の左側から、気の抜けた声が掛けられた。  この声は、宮本先生。  近所で、整形外科を開業しているお医者さんだ。  「何々、ナンパ?」  嬉しそうに私達に近づいてくる。  私と同じくらいの身長なのに、体重は倍くらいありそう。それなのに見る度に丸くなっている様に思う。現に顔は真ん丸だ。48歳の父よりも年上で、陽気で軽い、軟派な性格で、私を見掛けるとよく、見当違いな声の掛け方をしてくる。  「違います」  ハッキリ、軽蔑の気持ちを込めて答える。  「え~、違うの?何だ。ナンパなら、お兄さん、見る目あるなって思ったのに~」  この状況をナンパと言える先生は、本心なのだろうか?  「あれっ?お兄さん、肩、外れてない?」  私達の間に来ると、先生は急に真面目な顔になって、男に話しかけた。  背の高い男を見上げながら右肩を触ると、「やっぱり」とか。「痛いでしょ」とか言いながら、男をその場に膝立ちにさせると、右肩を触診してすぐ、「行くよ」と言うと一瞬で肩を入れた。  「イッ」  男は小さく声を漏らすと宮本先生を見た。  「これで、大丈夫。もし、まだ痛むようなら、診察に来てね」  「ありがとうございます」  男はようやく聞き取れるような、小さい声でお礼を言う。  「未來ちゃん、ダメだよ。断る時は技は使わずに、ちゃんと言葉で言おうね」  宮本先生は私に向かって注意をする。  「だから、ナンパじゃなくて。急に出てきたから、つい」  ハイキックを。  「つい。って。お兄さん災難だったね」  どうして、男の方に同情するんだ?  グ~~~。  私にも宮本先生にもしっかり聞こえる音が鳴った。  私と宮本先生はお互いに顔を見合わせて、自分じゃないと首を横に振った。  そうなると、音の出どころは一つに絞られる。  グ~。キュルキュル~。  二人で音を鳴らしているであろう人を見た時に、また聞こえた。  「すみません。昨日から水しか飲んで無くて」  男が小さな声で、自分が腹の虫を鳴らしていることを認めた。  「そうなんだ。可哀想に」  宮本先生が、大げさに同情する。  「いい匂いがして、それにつられて歩道に降りたら、いきなりハイキックを喰らいました」  あっ。  確かに、いきなりハイキックをしました。  「未來ちゃん、ダメだよ。護身術にしてもちゃんと相手を確かめないと」  「すみません。ごめんなさい」  頭を下げて、男に謝る。  ク~~。  切ないような音が、私を責めるように鳴った。  「あの。これ、良かったらどうぞ」  手に持っている、いい匂いの正体を差し出す。  「いいんですか?」  男は、今までで一番大きな声で、しっかり私を見て話した。  「はい。そうぞ。お詫びと言っては何ですが…」  雷愛君には悪いが、まだ温かい豚まんが入った袋を手渡した。  「ありがとうございます。頂きます」  男は袋を開けると、暖かい豚まんにかぶりついた。  その鬼気迫る姿を、宮本先生と二人であっけにとられて見ていた。  豚まんは直ぐに無くなった。  「お兄さん。この辺の人?」  宮本先生は口をモゴモゴと動かしている男に話しかける。  「大居大学に通う学生です」  この近くにある大学だ。  「幾つ?」  「20歳です」  「そっか、じゃ、もう飲めるね」  コクン。  首だけを縦に動かして、男が答える。  「じゃ、今夜は、オジサンがご馳走してあげるよ。一緒に飲もう」  宮本先生は男の腕を掴んで、歩き出した。  「未來ちゃん、そう言う事だから、一緒に帰るよ」  男は引っ張られるままに先生に付いて行く。  一緒に帰るとは、つまり、ウチの店に来ると言う事だ。  ウチは、居酒屋をしていて、宮本先生は常連のお客さんなのだ。
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