11

1/1
前へ
/13ページ
次へ

11

 翌日、夕暮時に約束の駅へ降り、駅前の広場に千明の姿を探したが、無かった。  目的の人物を見つけ出せたのか、それとも探しまわっているのか。  どちらでもいい。  私はスマホの地図を片手に、坂本の家へと向かった。  留守であることは分かっているが、ここを訪ねて来る人がいることが予想されるからだ。  夕日の色を白地の着物に映し、微かに吹く風を露わになった首筋に感じながら、真っ直ぐ前を見て歩く。  神社の石段が見えると、左に曲がる。  坂本の家は神社の下にある。  小さな門を開け、すぐそこにある玄関へは行かず、庭の方へと向かう。年季の入った日本家屋で、小さな庭には、物干し竿と、石でできた小さなテーブルセットが置いてある。  私は、その椅子に腰を下ろした。  石の椅子はまだ昼間の熱を持っていて、まるで床暖房の床に座っているようだ。  生垣の木々の葉が微かに揺れる。その音を聞きながら、静かに目を閉じる。  静かだ。  久しぶりの静寂に、私の心が解放されていくような感覚を覚える。  坂本の家を取り囲む低い塀と生垣を境に、強い結界が張られている。この世のモノではないモノは決して入れない結界を、私の生家でも祖母が張っていた。  普段、道を歩くだけでも生活の音や人の話し声、とこからともなく聞こえる音楽や、生き物の鳴き声が聞こえて来るが、特殊な力のある私達には、この世のモノではないモノの声が聞こえてくる。  小さな呟きから大きなうめき声、奇妙に笑う声から恨みを募らせる声まで様々だ。  それは、時に耳から離れず、お蚕様の着物を着ていても体中に纏わりついてくるような感覚に陥る。その粘度の高い声を聞き続けることはとても疲れる。  だから、余計な声が聞こえない結界の中は、いつもより静かで体が軽くなる。  無にした思考の片隅に、大きな日本庭園が浮かぶ。  千明と同じ年のころ、初めて訪れた場所だった。  大きなお屋敷と庭、その全部は祖母が張る結界の中にあった。  小さな生家とは比べ物にならないくらい大きなお屋敷だけれど、同じ人が張る結界の中は不思議と同じ静寂があり、特に緑が豊かな庭園を私は好んだ。  同じような季節だったな。  昔を懐かしく思い出していると、門を開ける音がした。  玄関のチャイムを押したのだろう。家の中から小さくチャイムの音が聞こえる。  私は立ち上がり、来客のある玄関へ回った。  「坂本は、留守にしております。私が代わって要件を伺います。」  心細そうに玄関に立つ、おじさんに声を掛けた。  坂本と同じ、60歳代くらいだろうか。  私の存在に驚いて、大きく肩を震わせた。  「えっつ。誰?人間?」  歳の割に、失礼な言い方に、一瞬眉をひそめたが、直ぐにバックから名刺を取り出して、おじさんに差し出す。  「瀧沢と申します。坂本から話を伺いまして、お待ちしておりました。」  名刺を受け取り、名刺と私を交互に見る。  何度見ても、どちらも変わらない。いい加減その行動を止めさせようと、口を開く。  「千明が貴方のところに現れたのではないですか?」  おじさんはようやく動きを止めると、驚いた顔で私を見た。  「貴方が、先生なんですね。」  再び口を開くと、おじさんは口をパクパクさせながら、大きく何度も頷いた。  私は小さく頷いて、さっきまでいた庭へと案内した。  石の椅子を進めると、私も、正面に腰を下ろした。  「こう見えても、24歳です。大人ですので、安心して下さい。坂本と同じような仕事をしております。いわば仕事仲間です。たまたま近くにおりましたので、代役を頼まれました。」  先生を安心させるために、私の事を簡単に説明する。  大体はまず、この説明から入る。もう慣れたものだ。  「なぜ、の名前を岡田千明(おかだちあき)知っているんです?」  先生はようやく、まともな言葉を発した。  「昨日、千明と出会いました。先生と森田君に話があると言っていたので、少し提言したのです。今は2022年だと。」  私の話を聞きながら、先生は顔色を変える。  夕焼けから夕闇へと変わりそうな薄暗い庭は、余計なものが見えなくなって、丁度よい。  「どうして、そんな事!」  先生は吐き捨てるように声を出した。  「貴方はどうして千明出てきたことを知ったのですか?」  私は淡々と、ただ冷静に話をする。  先生は、納得のいかないような顔で話す。  「昨夜、仕事の帰りで駅から自宅までを歩いていると。突然後ろから風が強く吹いて、先生。って女の子の声が聞こえました。振り返っても周りには誰も居ない。気のせいだと思い、歩き出すと、今度は前から強い風が強く吹いて、先生。って耳元でハッキリ聞こえたんです。岡田の声が。  怖くなって、急いで家まで帰ると、以前坂本さんに貰った御札を探し出して、それを持って中学校に行った。予想通り、岡田の供養のために建てられた祠のしめ縄が引きちぎられていて、祠の扉が開いていた。だから、坂本さんにもう一度、供養をしてもらおうと頼みに来たんだ。」  先生は古い御札を取り出して、私に見せた。  「千明は貴方に話したいことがあると言っていました。それについて、心当たりは?」  興奮か恐怖か、震える両手を握りしめて、先生は話し出した。  「あれは、岡田の為を思ってした事なんだ。」  「あれ。とは?」  「岡田は成績優秀で素直な生徒だった。このまま行けば、難関高校に無理なく進学できる成績だったが、森田と親しくなってから、少しずつ成績が落ち始めた。森田は成績が悪いわけでは無いけど、人を威圧するような態度をとったり、教師にも言いがかりを付けてくるような生徒だった。  二人の関係を注視していた時、誰も居ない教室で、岡田が椅子に掛けてある森田の制服に、何かメモのようなものを入れたのを目撃した。後からこっそりそれを見ると、放課後に呼びだすものだった。これ以上森田の影響を受けては、岡田の将来が台無しになるかもしれないと思い、そのメモを破棄した。」  「それは、まったくもって、余計なお世話ですね。」  「なっ。」  「千明の将来は千明が決めるもの。まして、人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて何とやら…。と昔の人も解いているでは無いですか。」  先生は返す言葉も無く、私を見る。  「千明の死は事故ですが、千明の未練は貴方が作ったものです。二度とこのようなことはなさらぬように。」  先生の目を真っ直ぐ見て説教をする。  「お約束頂けるのでしたら、千明の問題は全てお引き受けいたします。」  先生は一瞬顔を歪めたが、小さく深呼吸をすると、気持ちを押し殺すようにして言った。  「分かりました。お約束します。」  「では、お引き受けいたします。まず、その御札は家の玄関に貼って下さい。そして、私から連絡があるまで、家から出ないように。」  「それは、いつ頃までですか?」  「そうですね。明日から、2、3日はかかると思います。場合によってはもう少し。」  「仕事も休まなくてはなりませんか?」  「ええ。家から一歩も出てはいけません。因みに、お仕事はまだ先生ですか?」  「えぇ、まぁ。定年になってからの再雇用で、今は小学校で補助的な立場ですが。」  「そうですか。学校ならなおさら、行かない方がいいでしょう。15年前の様に千明が貴方の周りで暴走しては、子供たちが危険です。」  先生は、神妙な顔になって頷いた。  「では、料金は完了次第請求いたします。こちらに住所と電話番号を記入して下さい。」  私は自分の名刺を取り出して、裏を向けた。  先生はそこに住所と電話番号を書くと私に差し出した。  「ありがとうございます。」  私は深く頭を下げてお礼を言った。  これで、今月の金の心配はしなくて良さそうだ。  先生を見送って、坂本の家を後にする時、電話で坂本が言っていたことを思い返した。  「あの子は、自分の状況を受け止めきれず、暴走していた。コントロールできない力で、校舎の窓を割ってしまったり、校庭に竜巻を起こしたり。私の声も届かなかった。だからあの祠に封印したんだ。そこで冷静になれるまで頭を冷やすように。時はもう十分経った。瀧ちゃん。あの子の話を聞いてやってくれないか。その後の事は瀧ちゃんに任せるよ。  当時、私に相談してきたのは、あの子の担任だった先生だ。」  坂本は電話でこの件を一任してきた。  「後、神社の方も見ておいてくれる?外灯の工事が手違いで3か月も先になってね。夜は真っ暗で闇が深いんだ。大丈夫だとは思うんだけど、良からぬものが集まってしまていると、面倒だからね。」  坂本の結界は、そう簡単に破れるモノではないのに。私に頼むなんて、別の意味があるのかもしれないと思った。  坂本の家に張られている結界は、強いものだった。静かで、祖母の張った結界に少し似ていた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加