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 クラスメイトの森田君は、普段は無口だけれど納得できない事があると、しつこい位に突っかかる。  ケンカっ早いわけじゃ無いけど、目力が強いから目が合うだけで、睨まれたように感じる。それを気にしてか、前髪はいつも目が隠れるくらい長い。  友達がいないわけじゃ無いけど、大勢で騒ぐのはあまり好きじゃない。  中2男子の平均的な体格の割に、手は大きかった。  日直だった私が、放課後一人で日誌を書いていると、鞄を取りに来た森田君が話しかけてきた。  「岡田、いっつも日直の仕事、一人でやってるよな。」  「えっ。」  日誌から顔を上げて、斜め後ろの森田君を見た。  「日直は二人なんだから、お前一人で全部する事無いだろ。そうやって何でも引き受けたって、好感度は上がらないぞ。ただ便利な奴だって思われるだけだ。」  「好感度なんて、考えてない。ただ断れないだけ…。」  反論したい気持ちはあったけど、語尾は小さくしぼんでいった。  森田君はそれ以上何も言わず、帰り支度をしていた。  私は日誌を書きあげると、立ち上がり、集めた課題を抱えて職員室に行こうとした。  すると森田君は課題の問題集を半分以上、私から奪った。  「もう、帰れるんだろ?俺が半分持ったら鞄、持てるよな。」  私が、少し迷った事に気付いていたのだろうか?  鞄までは持てないと、もう一度教室に帰って来るつもりだった。  「ありがとう。」  長い前髪から覗く強い目を見て、お礼を言った。  少し緩んだ目元は、初めて見た優しい目だった。  職員室に日誌と課題を提出するまで、話をする事が無くて無言だったけど、その流れで、途中まで一緒に帰ることになった時。校舎から出ると、キレイな夕日が一面を染めていた。それに一人感動していると、隣で森田君が呟いた。  「茜色だな。」  そんな表現をする人だとは思っていなかったから、思わず言ってしまった。  「森田君って意外とロマンティックなんだね。」  馬鹿にしたように聞こえたのか、少し機嫌が悪そうな顔になって、言い返してきた。  「お前は意外とデリカシーが無いな。」  そう言って、先に歩いて行った。  私は追いかけるように後に続くと、話を続けた。  「私は朱色だと思った。」  「朱色?」  「そう。だって、少しオレンジがかって見えない?」  そう言って、並んで雲を見た。  「言われてみれば、そうかもしれない。」  隣で空を見上げている森田君の顔も、朱色に染まっていた。  きっと私も同じ色に染まっているだろうけど、頬が赤くなっている分、茜色に近いかもしれない。  雲の形が、何かに見えるとか。あの鳥は鳩かカラスかなんて、何でもない事を、帰り道が分かれるまで話した。  浮かれて話す私に付き合ってくれただけだろうけど、それだけで十分だった。  その日から、私は森田君を意識せずにはいられなくなって、すぐに認めてしまった。  森田君が好きだと。  初めて恋をしたと。  男の子を好きになった事はあっても、こんなに何もかも手につかず、視線が勝手に吸い寄せられることは初めてだった。  今まで、らしくない事はせず、周りのイメージ通りにやって来た私に、初めて訪れてたキラキラした毎日だった。  だから、勇気を出して思いを伝えようと思ったんだ。  例え振られても、気持ちを伝えたかった。  だから、告白するために手紙で呼び出した。  椅子に掛けられていた森田君の制服のポケットに、「放課後に校舎裏の階段で待っている。」と書いたメモを入れた。  森田君は、きっと来てくれる。  二人で帰った夕焼けや、何でもない会話を交わした事を思い出しながら、待った。  森田君の時折見せる優しい目元を思い出しながら、待った。  でも、いくら待っても森田君は来なかった。  日が落ちて、辺りが真っ暗になった頃、私は諦めて帰ろうと階段を下り始めた。その時、風が強く吹いて、木が大きくざわめいた。私はそれに驚いて、階段から足を踏み外した。  それで、死んだ。  事故だった。  でも、直ぐに死を受け入れられるほど物わかりの良い子じゃ無かった。  自分が死んだことを自覚したのは、葬儀も終わって、四十九日の目前だった。  学校に行っても、誰も私の存在に気付かない。  家に帰っても、私の代わりに写真がいるだけ。  ここに居るのに、誰も私を見てくれない。  寂しくて、悲しくて、どうしたらいいのか分からなくて、自分が死んだところに行ってみたの。そうしたら、先生が一人、花を手向けてくれていた。そして手を合わせながら、小さな声で話していた。  「岡田。どうか安らかに眠ってくれ。あれは事故だったんだ。」  声を震わせながら話す姿は、悲しみを堪えている様にも見えた。  「岡田に森田はふさわしくない。あれはお前の為を思ってやった事なんだ。」  思いもよらない言葉に、全身に鳥肌が立ったように感情が湧きたった。  「森田は何も知らない。だからどうか安らかに眠ってくれ。」  私が入れたメモは、先生が抜き取ったの?  だから森田君は来なかった。  ふさわしいって何?  私が学年トップの従順な優等生で、森田君は目つきが怖くて、突納得いかない事があると先生でもつっかかるから?  でも、そんなの私達が決める事。  先生がどうして?  「先生!」  先生のすぐ後ろに立って、感情の全てを込めて叫んだ。  すると、風が私から沸き立つように起こって、先生に向かって吹いた。  先生は驚いて、振り返った。  目が合った、と思った。  「先生。」  もう一度、声を出して先生を呼んだ。  「岡田…。」  先生は私を見ながら名前を呼んだ。  けれど、直ぐに我に返り、怯えたように階段を駆け下りて行った。  私は追いかける事も出来ずに、起こった事を理解しようとした。  でも、理解なんて出来なかった。  だから、先生を探して、話を聞こうとしたの。  あの日、森田君が来なかった理由を先生が知っている。  学校中を探した。  校舎の中も、校庭の隅々まで。  先生は見つけられたけど、何度話しかけても、もう私の声は聞こえなかった。ただ巻き起こる風に怯えているだけだった。  どうしていいのか分からなくなって、自分が何をしているのかも分からなくなって、気が付いたら、暗くて狭いところに閉じ込められた。    「森田君は見つかった?」  夜の駅前の広場で森田君を探していると、駅とは逆の方向から、ユウキが声を掛けてきた。  「昨日、似た感じの人を見かけたんだけど、人違いだった。」  首を横に振って、俯きながら答える。  「そう。でも、先生には会えたみたいね。」  驚いて顔を上げる。  ユウキは私を見ずに、真っ直ぐ駅から出てくる人を見ている。  「先生に会ったの?」  恐る恐る聞く。  「えぇ。怖がってたわ。そして、言い訳してた。  だから、お説教しておいた。今頃、家で泣いてるんじゃない?」  ユウキは感情の起伏を感じられないような話し方をする。  でもきっと、嘘は言っていない。そんな気がする。   「そう。」  私はユウキと同じように駅から出てくる人を見るために、前を向いた。  しばらく何も言わずに人を見ていると、森田君に似ている人が見つかった。  私の心が高鳴ると、ユウキが聞いてきた。  「森田君?」  ユウキの切りそろえた前髪が少し揺れている。  「似てるだけかもしれないけど。」  「どの人?」  「あの、眼鏡をかけて、赤いネクタイをしている人。」  指を指しながら、教える。  ユウキも分かったようで、頷いた。  ユウキは何も言わずに、教えた男の人の方へ歩き出した。  そして、わざとぶつかると、何か話をした。  私は気になって、二人の所へと駆け寄った。  「もしかして、瀧さんですか?」  「はい?」  「あの。その着物。加々美コーポレーションの専属モデルの瀧さんじゃないですか?」  「はい。私、加々美コーポレーション、営業の瀧沢と申します。」  ユウキはそう言って、名刺を差し出した。  男の人は、慌てて自分の名刺を取り出して、名刺交換をしだした。  「私、アパレルの『Six』で企画室におります森田と申します。」  森田。  男の人は、森田と名乗った。  私は眼鏡の奥にある目をじっと見た。  あの、睨まれたように感じる強い目力は、少し緩んで、私が恋をした優しい目元になっていた。  「森田さんは、どうして私をご存じなんですか?」  「実は、あの…。老舗呉服店の加々美コーポレーションさんと、コラボ企画が出来ないかと、企画を立てている所なんです。まだ、御社へお話できる段階では無いのですが、それで、パンフレットなどで瀧さんが載っているのを見て…。あの、ここで立ち話も何ですから、どこか少し落ち着いた所で話せませんか?」  森田君はキョロキョロと辺りを見渡した。  「すみません、今日はあまり時間がありませんので、日を改めてでもいいですか?」  ユウキはそう言って、新しく出した名刺に何か書きこんだ。  そして、森田君から貰った名刺を差し出して、裏返した。  「森田さんの携帯番号をお伺いしてもいいですか?」  「はい。もちろん。」  森田君はそう言うと直ぐに、名刺の裏に番号を書き込んだ。  二人は携帯番号を書き込んだ名刺を再度交換した。  「素敵なネクタイですね。」  ユウキは名刺を仕舞いながら、森田君に話しかけた。  「ありがとうございます。」  「そのネクタイ。赤、よりも少し落ち着いた色ですね。」  「はい。茜色です。」  「茜色?」  「えぇ。実は、四歳になる娘も『茜』って言うんです。」  茜。  森田君の口から響くその色の名前を、懐かしく感じた。  「じゃあ、娘さんの色ですね。」  ユウキは微笑みながら、そう言った。  「そうですね。それと、私には大切な思い出の色です。」  優しくなった目元を、更に緩めて、森田君は微笑んだ。  大切な思い出の色。  あの日見た、夕焼けを思い出した。  「それでは失礼いたします。」  ユウキは丁寧にお辞儀をした。  「はい。ご連絡をお待ちしております。」  森田君も丁寧にお辞儀をして、駅へと向かうユウキを見送った。  森田君が住宅街の方へと歩き出すと、私も森田君の後に続き、学生服とは違う背中に話しかけた。  「森田君、すっかり大人だね。あんな風に、笑顔で名刺交換なんてして、あの頃の森田君からは想像できないよ。  でも、素敵になった。  私も同じように年を重ねたら、今の森田君に釣り合う大人になってたかな?」  いくら話しかけても、あの頃のように森田君は返してはくれない。  分かっていても、寂しくなる。  涙が出そうになるのを隠すように、空を見上げた。  「見て、今日は星が綺麗に見えるね。雲も邪魔してないよ。」  見上げた夜空には、星がいくつも輝いている。でも、その輝きは、直ぐに滲んで見えなくなった。  私は立ち止まり、歩き続ける森田君の背中に視線を移した。  「好きです。」  聞こえはしないと分かってはいるけれど、吐き出すように、森田君に届くように、大きな声で告白した。  あの時、言えなかった言葉を、今、伝えたかった。  強い風が、森田君の少し癖のある髪を揺らして、茜色のネクタイを揺らした。  森田君は立ち止まって、振り返った。  「千明?」  そう小さく呟いて、周りを見渡して、少し悲しそうに笑って、家へと歩き出した。  私は、嗚咽が漏れないようにと両手で口を押えた。  私の声が聞こえない事は分かっていたけど、そうせずにはいられなかった。  暗闇に森田君の姿が消えるまで、見送った。  千明。  森田君に初めて名前を呼んでもらった。それを心の中で、何度も繰り返した。  そして、心の中で森田君に告げた。  ありがとう。  さようなら。    気が付いたら、私がとじ込められていた、学校裏の階段の途中にある、小さな祠の前に居た。  もう、帰る場所が分からなかった。  ここしか、無かった。
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