メビウスノオト

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メビウスノオト

「解析、終わりました」  青年の姿をしたヒューマノイドがつぶやく。私は彼に歌うよう促す。  たったワンフレーズ。  彼は小さな声で旋律を奏でた。私はいつものようにその音楽をレコーダーに記録した。  私は専門学校を中退して彼と旅をしている。彼にはメビウスと名付けられたAIが積まれており、私は彼のことをメビウスと呼んでいる。AIメビウスはおじいちゃんが作ったプログラムだ。  旅の費用は気にしなくていい。おじいちゃんは亡くなったとき、娘であるお母さんに莫大な財産を残した。たくさんの独創的な特許のおかげなのだという。  お母さんもおじいちゃんと同じく工学の博士で、お父さんは数学者。一人娘の私は、けれど音楽の専門学校に進学していた。理科も数学も好きだったし、特別音楽が好きだったわけでもないけれど、両親やおじいちゃんを超えることができないだろうという軽い絶望があった。追いつくことさえ、と考えると虚無だ。  楽器に触れたこともなかった私が作曲を学び、卒業制作に取り掛かったとき、おじいちゃんは亡くなった。ボケていたり大きな病気をしていたわけでもないけれど、流行りの風邪が肺炎になって、あっけなかった。  お母さんはわたしの前でも特に取り乱しているようには見えなかったけれど、お父さんがお母さんに気を使っているのはわかったし、家事ロボットがしてくれない種類の家の雑事は私が手を出してもどんどん溜まっていった。なにより、世界的に名の知れた技術者のお葬式っていうのは大変なんだということを身を以って感じた。  おじいちゃんに関するいろいろな手続きがひと段落して、お母さんは一体のヒューマノイドを買った。そして時間を見つけてはそれをいじっていた。私はといえば、卒業制作に手を付ける気になれず、けれどそれ以外にすることもなく、ぼーっとしながらコンピュータに楽譜を打ち込んで消してを繰り返していた。  そんな日々が二ヶ月ほど続いて、ある朝お母さんは私をガレージに呼んだ。  ガレージといっても車を置いているわけではない。お母さんが趣味で機械いじりをするための建屋で、小さい頃は危ないからとなかなか入らせてもらえなかった。 「きれいでしょ」  お母さんが見せてくれたヒューマノイドが、今私の隣にいるメビウスだ。椅子に座らされて目を閉じるメビウスは、こぎれいな服装に整えられていた。 「メビウス、起きて」  お母さんがそう言うと、眠っているようだった彼はゆっくりと目を開けた。そして私を見た。まず、お父さんに似てるなと感じ、次に、おじいちゃんの若い頃に似てるなと思い当たった。端的に言って、美人だ。 「遺言がね、あったの」  お母さんは起動させたヒューマノイドに触れながら言う。 「メビウスを誰かのパートナーにするように、って」  それをあなたにお願いしたいのよ、と微笑む。お母さんの顔は少し、寂しそうに見えた。  メビウスの体となったヒューマノイドは家庭用の汎用機。家事ロボットとして使う人もいるし、子供の遊び相手として求める人もいる。噂で聞くには恋人として扱う人もいるのだそうだ。性器ギミックは付いていないので性行為はできないはずだけれど、世の中には色々な人がいる。  元々積まれているプログラムは初心者でもカスタマイズが可能なのだけれど、お母さんがAIメビウスを組み込むときに基本プログラムまで手を加えたようで、私はメビウスを受け取ったとき、同時にお母さんによる取扱説明書のデータも受け取った。ここから先はあなたの好きなようにいじりなさい、ということだ。ざっと概要を見てみると、いくつかのプログラムを変更する際にはちょっとだけ面倒な手順がいるようだった。けれど私にもできないわけではなさそうだった。  私はメビウスに作曲ロジックを追加した。ロジック自体は専門学校に通いながら私の理解した理論で遊びとして作ったもので、おそらく私以外が使っても意味をなさないようなものだと思う。けれど、いやむしろ、私のパートナーになるのならこれを持っていることは必須かな、なんて考えた。  最初は卒業制作のパートナーとして付き添ってもらおうと思っていたメビウスとの旅だけれど、メビウスを受け取ってもう四年になる。当然専門学校を卒業できてはおらず、お父さんもお母さんも在学するならお金は出すと言ってくれたけれど、私はそれを断って中退した。  音楽を作っていなかったのかと言えばそういうわけではない。作っていたし発表もしていた。  メビウスと旅をして、見たもの、聞いたもの、体験したものごとをどんどん音楽にしていった。メビウスのAIプログラムが外的刺激をピックアップし、それを作曲ロジックにあてはめてワンフレーズ、メビウスが歌う。私はそれを録音して、音源として使ったり加工素材として使ったりして曲を作った。電子楽器も使うし、私自身も歌って音源素材として組み合わせることもよくあった。  私たちの旅はウィークリーマンションを借りて数週間そこを拠点に滞在する。朝起きて、少し出かけて、戻って曲作り、というスタイルをとることが多い。出かける中には買い物なんかも含まれた。私はあまり家事が得意な方ではないけれど、家事ロボットとしても使われるメビウスのおかげで人らしい生活ができている。  私はメビウスと作った音楽を「メビウスノオト」という名義で世界中に発信した。  卒業制作として自分の履歴のためだけに提出するのが嫌になった。メビウスとの旅が楽しくて。愛しくて。私たちの作ったものへの反応は私たち二人に欲しかった。  ありがたいことに配信で購入してくれる人が結構いるし、ファンを自称してくれる人も増えている。アンチもいたけれど、フィルタリングでそういう声は、気力があるときしか届かないようにしていた。  肩を叩かれ、私はヘッドフォンを取った。 「そろそろお休みになられた方が」  メビウスから言われて時計を確認した。午前一時。確かにそろそろ寝たほうがいいだろう。 「ありがとう」  そう言って私はメビウスの頬を撫でた。 「ね、お酒持ってきて」  かしこまりました、とメビウスはキッチンへ向かった。きりっとした後ろ姿を見送りながら、私はあくびをした。そして作業中のデータを保存し、コンピュータをシャットダウンした。  戻ってきたメビウスは、両手に一本ずつお酒の缶を持っていた。炭酸の果実酒と、ミルク風味のリキュール。どちらにしますかと問われ、果実酒に手を伸ばした。 「タマミ様は甘いものがお好きですね」  少し運動もした方がよろしいのでは、とメビウスは言う。  うるさいー、と笑って返して缶を開ける。プシュッ。口を付ける。シュワッ。 「ねぇ、メビウス」  なんでしょう、と返事がある。 「歌詞、付けたほうがいいのかな」  何度か繰り返した質問だった。 「わたくしは、今のままの方がいいと思います」  何度も繰り返した答えだった。 「その質問をなさるときはお疲れになっているときです」  メビウスはそう言って私の頬を撫でた。さっき私がしたみたいに。 「メビウス、あなたは誰?」 「わたくしはメビウス、タマミ様のパートナーでございます」  慈愛に満ちた笑み。 「タマミ様がお酒を飲み終わったら子守唄を歌って差し上げましょう」  そう言うメビウスに、私は安堵する。メビウスが作曲を覚えたのは私がロジックを組み込んでから。つまり、私と過ごした時間から作り上げた音楽だ。いつも歌詞はない。優しいハミングを聞かせてくれる。 「貴女様は誰ですか?」  メビウスが問う。 「私はタマミ、メビウスノオトの片割れでメビウスのパートナー」  わかっていてもそう言って頂けるのは嬉しいものですね、とメビウスは照れたような表情をした。このやりとりも何度か繰り返したものだ。 「じゃあ寝ようかな」  私はそう言ってベッドにもぐりこんだ。メビウスが部屋の明かりを消してくれる。  これでおじいちゃんの遺言を果たせているのかはわからない。  わからないけれど、メビウスが私の大事なパートナーになっていることは間違いのない事実だ。 「では今日の思い出から作曲いたしますね」  穏やかな小さな声でメビウスが歌い始める。メビウスノオトの曲作りのためにはワンフレーズしか歌ってくれないメビウスだけれど、夜は私が寝入るまで長く歌い続けてくれる。これは私のためだけに作られた歌。私はこのメロディを記録しない。記憶は、できればいいなとは思いながら目を閉じる。  忘れたくないと思っていても、人は忘れていく生き物だから。
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