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露光の里に真雪が降らなくなって四年になる。
連なる山の麓、森に囲まれるようにして、露光の里はある。木の板を組み立てて藁を被せたような家々の周りに、畑が拓かれている。畑には乾いた土が積もるばかりだ。真雪が降らないせいで、摂れる作物の量は目に見えて減り、去年はついに飢え死にする者が出た。
風は冷え切り、肌が張るような寒さが里に沈んでいる。
誰もいない畑を見つめながら、木に凭れて座る少女が一人。木の枝を削って作った針棒を持ち、器用に衣を編む。継ぎ接ぎの麻の襤褸を身に纏い、肌寒そうに身体を震えさせている。搔き集めて来た枯れ葉や折れ枝を膝の上に重ね、健気に暖をとろうとしていた。
少女の名は蓮花という。年は十四で、四年前、つまり十歳の時に母の花梨を亡くした。
花梨は、雪降らしの妖魔に杭を打ち、羽根を盗もうとしたと疑われ、逃げているあいだに底なしの沼に落ちた。目の前で沼に沈んでいく母を見て、蓮花も続いて飛び込もうとした。そして、追いかけて来た里民たちに引き止められた。蓮花が沼に飛び込もうとしていたことを見て、憐れんだのか、里民は蓮花を追い出すことはせず、里で生活することを許した。
それから四年。母が妖魔に杭を打ったと言われ、死んだ年から、雪降らしの妖魔は森を出ず、潜み続けている。妖魔の息に吸い寄せられるように、露光の里は常に重たい灰雲に覆われていた。雲の間から陽が射しこんでくるのもまれなことで、妖魔のおかげで豊かだった里は、妖魔のせいで飢餓に転がり落ちた。
秋になると妖魔がやってきて、森に棲む。妖魔に引き付けられて、里は灰雲に覆われる。冬の寒さが厳しくなった頃、妖魔は飛び立ち、雲を切り裂いて森を去る。切り裂かれた灰雲は白銀の真雪となり、里に降り注ぐ。真雪を被った畑は豊かになり、真雪が溶ける頃には大きな作物が溢れんばかりに摂れる――それが四年前までの露光の里だった。
妖魔は飛ばず、森に潜んでいる。
母が妖魔の美しい羽根を千切り取るため、妖魔が飛ばないように杭を打ったから。
深い森の奥、杭を持って歩く母の姿を、里の狩人が見つけた。
涙ながらに否定した母は、里民が話を聞かないのを見て、蓮花の腕を掴み、里を飛び出した。そして足を滑らせ、沼へ落ちた。共に滑り落ちそうになった蓮花を、母は最期の力で土の上へ突き飛ばした。
蓮花には、母がどうして杭などを持って森を歩いていたのかはわからない。けれども、母が妖魔の羽根の美しさを日頃から讃えていたのは飽きるほど聞いていた。妖魔の羽根は都へ行けば高値で売れるらしい。蓮花の父は蓮花が生まれてすぐに死に、母子は貧しかった。だから、蓮花は、母が金銭を求めて妖魔に杭を打ったのだと聞いても、悲しくはなれど、疑問は感じなかった。自分が産まれていなければ、母はそんなことはしなかっただろう、そしてきっと沼に呑まれて死ぬこともなかっただろう、と心の片隅で思った。
「蓮花」
名前を呼ぶ声がして、顔を上げると、皺が寄り始めた初老の男が立っている。片手に鳥の死骸を吊るしていた。
「余暉」
「また外で編んでいるのかい。病になるよ。せめてもう少し身体を暖めなさい」
独り身の蓮花に唯一良くしてくれるのが、余暉だった。余暉は妻も子もおらず、妹夫婦の家で暮らしている。余暉の頼みで、蓮花もその家に寄せてもらっていた。しかし、四年も不作が続くうち、蓮花は余暉の家族から冷たい扱いを受けるようになっていた。仕方がないと蓮花自身も思う。困窮の原因を作ったのは自らの母であるし、自分が家にいることで、食べ物を一人分多く消費してしまう。
それでも余暉だけは優しかった。余暉は毎日森へ狩りに行くので、蓮花は森の入り口にある木の根元に座り込み、時間を潰すことが多かった。余暉の帰りを待ち、一緒に家へ帰るのだ。
「今日は雪降らしを見た?」
膝の枯れ葉を払いながら、蓮花が尋ねる。余暉は苦笑した。
「見ないよ」
雪降らしの妖魔は森の奥深くにいる。妖魔は下手に刺激すると危険だから、里民は近づかない――ではなぜ、自分の母は、そんな妖魔に杭を打ち込んでも無事でいられたのだろうかと蓮花はたまに不思議に思う。
「帰ろう、蓮花。今日は鳥を捕れたから、みんな喜ぶぞ」
余暉は手を差し伸べてくれる。十四歳にもなって手を繋ぐのは恥ずかしくもなってきたが、蓮花はその手を拒んだことはなかった。余暉が優しく手を繋いでくれるたびに、何かを許されているような心地がしたからだった。
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