泥棒猫。

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「この泥棒猫っ!!」 女は私にそう言い放ち、その場を去った。つんと香る女の匂いに眩暈がした。 私は何の言葉を発せずに立ち尽くしていた。 泥棒猫。 たくさんの罵詈雑言を言われた気がするが、その言葉だけが妙に残っている。 そうか、私は泥棒なんだ。 嘘もつけない私が泥棒になる日が来るとは思ってもいなかった。 私が愛した人には妻がいた。 出会いは会社。私の直属の上司だった。誰にでも優しく、さらには仕事も出来て、正義感の強い彼に私はすぐに惹かれた。笑うと細くなる目や、冗談を言う口元が実家で飼っていた猫にどことなく似ていた。その安心感や彼の距離の縮め方のうまさもあり、私達はほどなく恋人関係になった。 とても幸せだった。学生時代の彼氏とは違って大人の彼は、一緒に居るだけで気持ちが穏やかになり、景色が色づいた。将来だって考えた。彼さえいれば何でもよかった。しかし今思えば気付くべきだった。会うのはいつも私の家だったし、日曜日は絶対に一緒にいれなかった。親の都合と聞いてはいたが、あの鼻の付く匂いの女、つまり奥さんと過ごしていたんだ。 泥棒猫。 全てが無くなってしまった。泥棒だって?盗まれた気分なのはこっちだ。やっと涙が出てきた。膝から崩れ落ちた。閑静な住宅街の街中で私は泣き崩れた。ジャージ姿に、手には財布。そうだ近くのコンビニに行く予定だったんだ。家まで調べられていたのか。やっと頭が回ってきた。アラサーのジャージ姿の女が、本気の恋が不倫だったと知り、人目はばからずに泣いている。なんて滑稽な姿だ。閑静な住宅街でよかった。夕方でもこの道はあまり人が通らない。胸が苦しい。張り裂けそうだ。歌の才能でもあれば、曲にして昇華させることだって出来たかもしれないのに。私に出来ることはまっすぐ生きることだけだったのに。どこで間違えちゃったのかな。涙はまっすぐに流れる。 一生ものの愛だと思っていた。真実の愛だと思っていた。もう愛を信じることが出来そうもないこれからを思うとうんざりした。 私にはもう普通に誰かを愛することが出来そうにもない。 そんな疲弊しきった私に一匹のまんまるとした猫が近づいてきた。ここらの家から、その持ち前の人懐っこさでたくさんの餌をもらっているのであろう。まんまるだ。言ってしまえば、この子の方がよっぽど泥棒猫だ。こんな体形になるまで人様から可愛さを武器に食料をぶんどっているのだから。そんな恰幅の良い猫は私におびえるどころかさらに近寄ってきた。まだこんな私に近付いてくれる存在が妙に嬉しかった。 また昔実家で飼っていた猫を思い出した。薄茶色がベースの胴体に、上部が濃い茶色で覆われていて横から見るとプリンに似ていたため、そのままプリンと名付けた。15年も前に実家で飼っていたプリンだったが、猫を見ると今もあの時の温かい気持ちが蘇る。だが、今の私はその後に思い出したくない男が出てきて、プリンとの思い出を汚してくる。私は泥棒猫だった。プリンが好きすぎて、猫になりたいと願ったある小学生の願いがこんな形で叶うとは。泥棒が余計だ。 「私もね、泥棒猫なの。一緒だね。」 気付いたら無理やり笑顔を作って話しかけていた。今会ったばかりの猫にも少し愛想を振りまく自分の生真面目さが妙に笑えてくる。人との関わりに疲れた私は、今は誰とも口を聞きたくない。だからといってこの猫に返事して欲しいわけでなく、話を聞いて欲しいわけでもない。ただ今は寄りかかれるものがあるのなら、昔の思い出でも、ただの野良猫でもなんだっていい。私を支えてほしかった。まさに猫の手も借りたい。そうもしないと私は私を保っていられなかった。知らぬ間とはいえ、人を傷つけてしまった私を保つ必要があるのかどうかも分からないけど。 「失礼にゃ。」 期待していなかった返事は、想像もしてなかった返事として耳に届いた。 ついに頭がおかしくなった。普通に言葉が聞こえてきた。人は誰もいない。目の前にはまんまるとした野良猫だけ。白くてまんまるしてるから、肉まんと名付けようか。おそらく肉まんの鳴き声が言葉として届いてきた。あぁ、あれか。テレビで見たことがある。飼い主が猫の言葉を理解できるというVTRをスタジオのタレントたちが苦笑いして見ている画。とてもつまらなかった。そんな卑下の対象と同じ現象を今体感してしまっている。とてもつまらない人間だ、私は。 「失礼にゃ奴だにゃ。お前と一緒にしてほしくにゃいにゃ。」 めちゃくちゃにゃーにゃー言うじゃん。猫語ってそういうもんなの? …いや、いやいやいや。そもそも猫語ってなに?また言葉として聞こえた鳴き声に私はパニックになっていた。猫がしゃべった?いや、そんなはずはにゃい。違う。そんなはずはない。肉まんはにゃーって鳴いただけだ。しっかりしろ、私。呼吸を整え、顔を上げ、冷静に肉まんをしっかりと視界で捉えた。現実をちゃんと見ろ。何を現実逃避をこじらせているんだ。ほら、ちゃんと見ろ。目の前には、4本足でこっちをただ見つめてにゃーと鳴いているまんまるとした猫、ではなく、腕を組みながら2本足で立って顔をしかめ、お腹が丸見えな状態でこちらを見つめている猫がいる。え、肉まん、その格好恥ずかしくない?と思いつつ、目の前で起きていることに整理が追い付かないでいた。 「ワシは王様猫にゃ。泥棒猫、探したぞ。一緒に来てもらうにゃ。」 肉まんの髭が急に立派に見えたかと思ったら、いつの間にかたくさんの野良猫たちに囲まれていた。私は、昔読んだ童話を思い出しながら、気を失った。明日が日曜日でよかった。 目が覚めると、鉄格子に囲まれた空間に横たわっていた。牢屋というよりは猫用のケージに似ていた。あぁ、猫たちってこんな気分なんだなぁと思いながら、体を起こした。体に特に痛みはない。鼻に残る刺激はなんだか懐かしい。水を飲む場所もあったので、まずは渇いた喉を潤した。周りを見渡しても、このケージの出入り口の先に上へあがる階段があるだけで、それ以外何もない。そもそもここはどこなんだろう。少し今の状況を整理しよう。 …やめた。どうでもいいか。ここがどこかだなんてどうでもいい。ここで命尽きても何も思わない。家族は悲しむかな。友達は?同僚は?でもね、どうせ私には愛を信じることのできない不幸なこれからしか待っていない。思ったより心の傷が深いことに改めて気づく。一生ものの愛だと思ってた。愛ってなんなんだろう。答えはない。しかし愛を信じれずに破滅していった人を何人か知っている。その時はただかわいそうな存在だと思っていたが、その人たちにも事情があったんだなと、そっち側にいってから気付く。ということは私にも破滅しか待っていない。最悪だ。でも自分で命を絶つほどの勇気もない。情けない。いっそここの牢屋みたいなところで一生過ごしてもいいかもしれない。 「あーぁ、幸せになりたかったなぁ。」 6畳ほどもあるケージの中で、私は小さく三角になって座っていた。この面積を求める数式を誰か教えてほしい。 コツコツ。 ケージの外の階段から足音が聞こえてきた。どうやら二人組のようだ。音以外の情報がないので、それに対する集中力は我ながらすごいと思う。私って聴覚が良いんだな、そんな新発見を含めたお気楽な考えは、足音が近づくにつれ、不安へと変わっていった。誰が来るんだろう。さっき人生を諦めたとはいえ、怖いこととか、痛いことは嫌だ。私だって人間なんだから。 コツコツコツ。 もう、すぐそこまで来ている。あ、実はここはどこかの王国だったりして、捕らえられた私を王子様が助けにきて、その場でキス・・・なんてわけないか。こんな状況でどんだけお気楽な頭しているんだ。例え王子様でも初対面でいきなりキスさせるほど、私は軽い女じゃない。3回はデートしなきゃ。しかも足音は二人分だ。誰かの付き添いがなきゃ来れないあまちゃん王子なんて論外だ。って、何を言ってるんだ。さっき愛を諦めたはずだろ。まだ自分を自分で受け入れられないでいた。そんな私の目の前に現れたのは、少なくても危害を加えそうな存在ではなかった。 「あー、目が覚めてたかにゃ。乱暴してすまなかったにゃ。」 大きな白い体にきらびやかなマントをまとった一人の男が口を開いた。 いや、男というか、猫だ。だからオスなのかもしれない。一人ではなく一匹。計二匹。私の見る限りでは人間サイズの猫が人間の衣服を身に付け、人間の言葉を話している。なんだこの生物。先日、野良猫たちのミュージカルを見たのを思い出した。顔も見た目も猫、しかしサイズ感と仕草は人間。普通に二足歩行で、服を着ている。あぁ私は夢を見ているんだとこの状況を片付けようとしていると、もう一人…もう一匹の貴族のような格好の猫が優しい口調で話しかけてきた。 「これはこれは泥棒猫さん。ご機嫌麗しゅう。私たちはあなたを探しておりました。」 「は、はぁ。」 今までで一番気の抜けた返事をした私に貴族みたいな猫は続けた。 「私は大臣猫。そしてこちらがこの猫王国を治めていらっしゃる王様猫です。」 「にゃ。さっきはマタタビで気絶させて申し訳なかったのにゃ。」 大臣?王様?王国? 夢で片付けるには想像を越えてしまい過ぎている。夢とは自分が想像できる範囲で見るものだ。もはや想像を越えてしまっている。当たり前だが、さっき私が想像した王国は人間が治めている国の話だ。猫が治めている国だって?で、この猫が王様。理解できない。うーん、そしてこの王様猫もどこかでみたことがあるような… 「あ!肉まん!」 私は急に大きな声が出て、自分でも驚いた。肉まんだ。あの惨めな私の前に現れたまんまるとした猫。その肉まんが私より大きな人間サイズになって、きらびやかな装いをして目の前に立っている。そうだ、王様猫って、言ってた。鳴き声が言葉に聞こえて、急にたくさんの野良猫に囲まれて、何かを嗅がされて、意識を失った。あれはマタタビだったのか。どおりで懐かしいはずだ。プリンによくあげてたマタタビ。とても大好きなにおいだ。そのにおいで気絶した私は、その猫たちに連れられてここまで来たわけか。なるほどねー。はいはい。…いや、誘拐やん。とんでもねぇ、力技じゃん。猫だましであってくれ。この肉まん、とんでもなく悪い奴なのか?そうは見えないけど。 そしてなんで私なんかを? 「肉まん?にゃんじゃ、腹が減ってるのかにゃ?」 肉まんは目を細め、にゃにゃにゃと笑っている。かわいい。猫の王様というだけあって、話し方がものすごい猫感が強めだ。猫まっしぐらだ。にゃという語尾は私達で言う方言みたいなものなのか。誘拐犯かもしれない相手なのに、なんか許してしまいそうになる人当たりの良さが肉まんが王様になれた理由かもしれない。ここでは猫当たりの良さか。そんなことはどうだっていいが、ツボにはまったのか、肉まんは笑いすぎてむせている。涙を流している。そんな王様猫を大臣猫が心配している。本当に人間みたいだ。しかしどの国でも偉い奴の笑いのツボってのが理解できないものだ。 「ごほん。それでは今あなたがなぜここにいるか説明させて頂きますね。」 大臣猫がむせてる王様猫の背中をさすりながら、私に向かって言った。これが本物の猫背かと喉まで出てきて、飲み込んだ。一応、失礼かもしれない。 「まずここはあなた方の人王国ではなく、猫王国だということは理解されてますか?」 私は首を横に振った。なんだよ、猫の王国って。 「よろしい。説明しましょう。ここは猫の王国、猫王国。猫たちが住む世界です。以上。」 …え?それだけ?これはつっこむべきなのか? まー、そりゃそうなんだろうけど。そういうものだと理解するしかないのか。海外の国や民族もそうだ。そういうものとしてしっかりこの世に存在している。私が知らないだけ。自分の常識を疑わなければ成長はない。そういう文化があると自分の中の記憶フォルダーに新ファイルで保存するしかないのだ。まだゴホンゴホン言ってる王様の国と思うと、いささか不安を覚えるが。 しかし大臣は切れ者感がすごい。この二人のコンビはとても良い。なごませ役としっかり役。おとぎ話で出てきそうなコンビだ。 「そしてこの国は今、ひとつの問題を抱えています。それが王子猫のことなんです。」 話は勝手に進む。王子猫。まぁ猫の王子様のことだろう。てことは、この肉まんの息子ってことか。…期待できないなぁ。 何を期待してるんだ、私は。猫だぞ、相手は。 「王子猫は、ある原因不明の病にかかり、目が覚めない状態が続いています。もう2年になります。おいたわしい…。」 大臣猫は目を潤ませ、言葉に詰まりながら、話してくれた。王子のことを本当に想っているのが伝わってくる。この大臣猫はきっと素敵な猫なんだろう。 「そこでにゃ!泥棒猫の出番なのにゃ!!」 急に肉まんが話に入ってきて、大臣の言葉を遮ってきた。話し方のせいで緊張感が抜けてしまう。なのにゃ!って言われても。…ん?出番? まもなくして大臣猫が呼吸を整えて、主導権を握り返した。肉まんを制して、話の続きを始めた。肉まんは不服そうだ。 「この国には古い童話があります。王子猫と泥棒猫の話。様々な泥棒を繰り返した泥棒猫は、宝だけでは飽き足りず、ついには王子猫の心を盗んでしまいます。すると王子猫は寝たきりになってしまいます。しかしその後、泥棒猫は王子猫に恋をしていたことに気が付きます。一度盗んだ心は二度と元には戻りません。自分の心に気付いたときには、自分のせいで相手は目覚めない。泥棒猫は自分の行いを悔やみ、反省し、王子猫ことを思い続けます。そして長い年月が経ったとき、泥棒猫の真実の愛が届き、王子猫は目覚めるの…です。」 明らかに嫌そうな顔をした私に大臣猫は言葉を詰まらせた。今、一番聞きたくない、信じてもいない言葉が出てきた。真実の愛。いかにもどこかで聞いたことのありそうな童話だ。童話ってそんなものなのかもしれないけど。都合の良い展開だ。肝心なところを真実の愛と言うボヤけた言葉で濁している。想像しろってことなのか。そんな童話あるあるなんてどうでもいい。 ってことは、大臣の話を総合すると…嫌だ、総合したくない。続きを言わないで。 「なので、泥棒猫のあなたには王子を目覚めさせて欲しいのです。」 ほら、来たー。無理だよ、なにそれ。そもそも童話の話でしょ?会ったこともない王子に真実の愛を届けろってどういうことよ。私、王子の心を盗んだ覚えもないし、そもそも泥棒でもないし。肩書は会社員だし。あと大前提として、私は猫ではないし。王子を助ける義理もないし。 私の矢継ぎ早に出てくる心の叫びは二匹には届かなかった。 「大臣、こいつは自分から自分のことを泥棒猫って言ったのにゃ。これで王子は目が覚めるのにゃ!」 肉まんは大きなお腹を揺らして笑っている。どちらかというとほっとしているように見える。そうか、自分の息子が原因不明の病にかかり、長い期間悩んでいたところに、やっと目覚めるかもしれない、そんな希望の存在を目の前にしてるんだ。そりゃテンションも上がる。さっきの変なテンションもそういうことで、誘拐っという強行突破に出たのも息子を思う気持ちからの親心だ。大臣猫も目頭をハンカチで押さえている。この二匹にとって、いや、猫王国の猫たちにとって、その王子猫は本当に大切な存在なんだろうな。そんなことを考えていたら何も言いだせず、流れに身を任せることとなった。 「では早速、王子に会っていただきましょう。」 大臣猫はケージの扉を開き、私を手招きした。リアル招き猫を見たというのに私の足は重たかった。王子の部屋へ向かう道中、何度も私は泥棒猫ではないと言おうと思ったが、言い出せなかった。二匹が王子のことを話す時の優しい顔を見ると、言い出せなかった。そしてこんな私を必要としてくれている状況がなんだか嬉しかった。それが勘違いだとしても。王子に会って、出来る限りのことをして、諦めてもらおう。こんな私を支えてくれたせめてものお礼だ。猫への恩返し。それが仇になるかもしれなくても、出来ることをやってあげたい。もしかしたら私にできることがあるかもしれない。ここを猫王国と認めた時から、私の常識はとうに捨てている。どうか奇跡よ、起きてくれ。 「ここです。」 大臣ははやる気持ちを落ち着かせながら、王子の扉の鍵を開けようとしている。王様は私の肩を抱いている。あったかい。この温もりも懐かしい。冬場はよく一緒に寝たっけ。猫好きな私が泥棒猫と呼ばれ、王様猫に会い、猫王国の猫王子と会おうとしている。なんて気まぐれな猫のような運命だ。 ガチャ。 さぁ、運命の扉が開かれた。私の運命よ、顔を洗って待っていろ。明日は雨模様だ。 「こちらが王子様です。」 大臣がヨーロッパ調のベッドのカーテンを開き、私に王子猫を見せてくれた。恐る恐る覗き込んだ私に飛び込んできたのは、ふかふかのベッドに横たわる一匹の猫。私は涙を流した。これはなんていう種類の涙だろう。分からないが涙流れた。でも涙を流した理由は分かる。懐かしい、大好きで、ずっと会いたかった猫。そこには昔実家で飼っていた猫、プリンが小さな呼吸と共に目を閉じていた。 「なんにゃ、どうしたんにゃ?」 急に感情が溢れた私を心配する王様。やはりプリンのお父さんだけはあって、優しいな。プリンが王子様?プリンがプリンスだなんて。少し笑った私は涙を拭いて、しっかりプリンと向き合った。懐かしい。目の上の小さな傷。近所の猫とケンカしたんだっけ。優しく顔を撫でた。あれ、でもなんでプリンがここにいるの?プリンは私が小さい頃に死ななかったっけ?…違う。いなくなったんだ。その時は三日三晩泣きながら探した。その時に猫は死期が近くなると姿を消すんだと母親から説明されたが、納得できずに街中を探し回った。ついには私の捜索願まで出たほどだ。しかしプリンは見つからなかった。それ以来、猫を見かけると話しかけてた気がする。こんなとこにいたんだ。また優しく顔を撫でた。愛おしさが溢れてくる。もう15年も前のことだけど、その時の気持ちがまんま蘇ってくる。こことむこうじゃ時間の流れとか違うのであろう。プリンはあの時のままだった。もう何が起きても驚かない。もし今ここでプリンが目を覚まして私のことを見ても、私だって気付かないかもしれないな。たくさん年を取って、ボロボロになった私。プリンはそんな私を見てどう思うのかな。寂しく笑う私はまたプリンを撫でた。それでもまた会えて嬉しかった。ずっと大好きだったよ。私は優しく言った。 王様と大臣は私の豹変ぶりに初めは驚いたが、それでも私が王子に攻撃をしようとしてるわけじゃないと判断し、見守ってくれていた。やはり素敵な猫たちだ。結果的にその判断は正しかった。私の大好きと共に流れた涙が王子の顔に落ちると、まるで映画のように王子が目を覚ました。まぁ猫と人間のラブストーリーの映画なんて見たことないけど。 奇跡が起こった。 歓喜の瞬間に、王様は飛んで喜び、大臣は泣き崩れた。 「にゃんということにゃ!泥棒猫よ、お手柄にゃ!!」 私は目覚めたプリンを抱きしめたかったが、王様がそれを阻止して私に抱きついてきた。とても力が強く痛かったが、嫌な痛みではなかった。私も素直に喜んだ。童話によれば、私にも真実の愛ってものを持っていたことになる。もう私の常識なんていらない。 「これは国を挙げてお祝いしなきゃいけませんね。二人の愛を。」 大臣が忙しくなるこれからを想像してか、手帳を開き何かをメモし始めた。 え、お祝い?私とプリンの?これからプリンとここで…? …いやいや、話が早い。いくらプリンでも3回はデートはしなきゃ。 …いやいや、自分が一番話を早めようとしてるじゃないか。プリンの気持ちだってある。でもそれがもし… …いやいや、何の話よ。私よ、落ち着け。プリンはまだ目が覚めたばかりなのだ。二匹と一人でこの国の王子の第一声を待った。ゆっくり体を起こしたプリンは周りを見渡し、私に首を傾げ、二匹を見て口を開いた。 「にゃーん、にゃん。」 …は? 今、何て言いました?なんでこの重要な第一声で猫かぶってるのよ。ちゃんと話さんかい。昔のなじみで言葉がきつくなっちゃった。なに、ふざけてるの?プリン。涙がすっかり引っ込んだ私は、その後さらに驚くことになった。なんと二匹はそのまま会話を続けたのである。 「そうです。王子様はもう長いこと眠っていたんですよ。」大臣が嬉しそうに説明した。 「にゃー・・・。にゃんにゃんにゃー。」プリンが頭を下げた。 「いや、にゃに!気にすることはにゃい!」王様は豪快に笑った。 「にゃん、にゃ?」プリンが尋ねた。 「それはですね、こちらの泥棒猫さんのおかげなんです。」大臣は私を紹介した。 「にゃん。」プリンは私に話しかけてきた辺りで、さすがに大臣に聞いた。いくら肉まんの息子とはいえ、猫方言がきつすぎる。 「あのー、すいません。王子様はお二人のようにお話は出来ないんですか?」 その言葉に三匹の動きが止まった。そして一番鈍感そうな王様が即座に私に尋ねた。 「お主、王子の言う事が聞き取れないのかにゃ?」 あまりの剣幕に嘘を付きそうになったが、それこそ取り返しのつかないことになりそうだったので、素直にはいと答えた。するとさっきまで喜びの絶頂だった王様は頭を抱え、王子は私を目を見開き見つめ、大臣は戸惑いながら、私に言った。 「なるほど。泥棒猫さんは王子様の飼い主でございましたか。」 突如訪れたお祝いムードが一気に収束していくのは分かったが、なんでそうなったのかは分からなかった。王様や大臣の次の言葉を待ったが何も言ってはくれず、王子も考え込み、私も言葉が見つからず沈黙が続いた。少しして王子が私に向かってにゃーと言ったが、やはり何を言ってるか聞き取れず、私はたまらず王様に目を向けた。すると王様は重い口を開いた。 「飼い主とは会話が出来にゃい。人と猫のバランスをとるため。これがこの国の掟なのにゃ。」 なるほど。それで私はプリンの言っていることが分からないのか。確かに会話せずに長いこと一緒にいたのに、急に会話ができるようになったら、人と猫の秩序は乱れてしまう。そういうルールならば仕方がない。…ん、今、王様は私のことを人って…? 「とっくに知っていましたよ。あなたが猫ではないことなんて。私も王様も。その上で王様があなたに感じた何かに賭けてみたくなったのです。でもまさか飼い主さんだったなんて…残念です。」 大臣は本当に悔しそうだった。勝手に連れてこられて、勝手に期待され、期待に応えたら、残念だと言われている。断片だけ繋ぐと私はとても被害者に感じるが、そうじゃないことは重々に承知だ。むしろ申し訳なさを感じてしまう。 「そして飼い主と分かった以上、ここにお主を留めておくわけにはいかにゃい。恩人にこんなことを言って…すまにゃい。」 大丈夫よ。私は王様を抱き締めながら言った。一国の王がここまで頭を下げるのは一大事なこと。むしろ私なんかを良くしてくれてありがとうだよ。恩猫たち。短い時間だったけど、ここに来れてよかった。大切なものがたくさん見つかった気がする。 「にゃー。」 プリンが近付いてきた。立派になったねぇ。私はプリンがまだ存在してくれてたことが本当に嬉しい。生きててさえいてくれれば、この世界のどこかにプリンがいる、そう思えるだけでどれだけ支えになるか。 そんなことを考えてる私にプリンは近くの豪華な装飾の机の引き出しから、何かを取り出して私に見せてきた。目の前がボヤけてきた。それは私が小学校の授業で作った手作りの首輪だった。小さい鈴が2つ。これはプリンのリンと、私の名前、鈴音の鈴。プリンと鈴音はずっと一緒だよと想いを込めてプリンに付けてあげていた首輪をまだ持っていてくれたんだ。涙が止まらない。心があったかい。真実の愛ってあったかい。プリンは小さくにゃーといって、私に頭を擦り付けた。ありがとうって言ってくれた気もするし、頑張れよって言ってくれた気もする。言葉が通じなくても心は通じてる。だから飼い主と会話が出来ないのかもしれない。解釈は無限大だ。 「本当にありがとうございました!ご達者で!」 「元気でにゃ!」 大臣の丁寧な口調と王様な豪快な口調に見送られ、リンリンっという鈴の音と共に私は再びを意識を失った。 気が付くと、肉まんと会った路地にいた。肉まんと会った時間から30分くらいしか経っていなかった。それにしても不思議な世界へ行っていた。猫の王国。行きも帰りも泣いてたが、今の涙は心地が良い。30分くらいの仮眠をとった後のようなスッキリ感がある。まぁ実際に意識を失ってたし。 今回の旅路で分かったことがある。ひとつ前の恋愛は確かに最悪だった。でも私の初恋はとても素晴らしいものだった。思い出せて本当に良かった。愛は様々な形があるんだってこと。また愛ってものを信じることが出来そうだ。解釈は無限大だ。 私はそのままコンビニに向かった。ちゃんと泥棒することもなく、肉まんとプリンと、あと色合いが大臣とどことなく似てる野菜ジュースを買った。主食と飲み物とデザート。なんてバランスの良い組み合わせなのだろうか。そんな三匹が治める国、もっと見て回りたかったな。きっと想像を越える夢のような素敵な王国なんだろうな。 コンビニを出て、冷たく感じる風にあのあったかさを思い出しながら、帰路につく。家へとまっすぐ歩く足に迷いはなかった。そういえばコンビニの店員さん、結構タイプだったな。次はスプーン以外の会話もしてみよう。 にゃー。 塀の上から、エールが届いた。
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