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はじめに
私は常に服が気になる。例えばマネキンでディスプレイされているコーディネートを見て、それが素晴らしい作品として脳裏から離れなくなったり、自分が好きなテイストのショップへ行けば、店員さんのファッションを上から下までチェック。「なるほど、今シーズンの推しはコレなのね!」と一人、頷いている。
店舗で気になった商品を自宅のネットで、調べる調べる。詳しいサイズや口コミ、各店舗でのコーディネート写真がアップされていて、私はワンダーランドにいるような気持ちになる。
最近逃したな、と思ったのは黒のタートルプルオーバーだった。毎年似たようなものが発売されるじゃないか。それなのに、突然天からの声が聞こえて、Saleになったセーターを買いに行くと、売り切れ・・・。赤もよかった。それも売り切れ。あら、考えることは皆さん同じなのね。
買い時というのを常に狙っていて、5%OFFになる日、1000円引きになるネット販売、良いお買い物ができた時はウキウキである。
話は子供の頃になるが、私はなぜか洋服をあまり買ってもらえない家庭で育った。幼い頃の写真を見ると、母の手編みのワンピースを着ていたり、弟と色違いのトレーナー姿もあった。
それが小学校中学年の頃から、着る物に困るような生活を送っていたのだ。
母が洗濯していなければ、体育がある日にジャージがない!洗濯かごからジャージを引っ張り出しくんくん、大丈夫だといそいそ着替える。
私には選択肢がなく、それでも毎日同じ格好にはならないように必死で数少ない服と格闘していた。
高校生になってからもそれは続いており、相変わらず母親は服を買ってくれない。服を買う?そんな外見をつくろって何になる、くだらない。
コーディネートできるほどの服や靴などがない為、これしかないと着ていった格好を見て友達にどん引きされたことがあった。あきらかに、驚きながら引いていた。それでバーゲンに連れ出されたものだから、行く先々で恥をかいた。友達と同じような目線は、とても痛く辛かった。
あきらかに、ダサすぎたのだ。
そして私は自分で選ぶことをやっと、覚え始めた。けして高くなくても、ディスプレイされているのと同じ物を買えば、もう苦笑いされない。
それが影響しているのか、今は「着るのを忘れる」服を沢山集めている。
もはや、収集家である。気になったものは、手に入れろ。
そしてどうしても着なければ、フリマアプリで売りさばいてしまおう。
そこでお金に替えて、また気になる服代に充てる。
しかし、そろそろ疲れてきた。
着回しもできず、片付けもままならない服たちを若干無視しながら、まだ気になる服を探し求めている自分に。
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