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9章
クリアは生まれて初めて死の恐怖というものを感じていた。
1万の大軍を前にしても折れなかった心が、今たった1人の男によって砕かれそうになっている。
「さて、次は何を見せてくれるのかね? これで終わりというのなら君の命もここで終わりだ」
一歩ずつ――。
少しずつゆっくりとこちらへと向かってくるストリング皇帝を前にして、クリアは体を震わせて立っていることしかできなかった。
……ダ、ダメだ。
私ではこの男には勝てない……。
幼き頃から、剣術を学び――。
これまで何度も敗北を味わっても立ち上がってきた。
自分の住む街――。
歯車の街ホイールウェイを守るために、幾千の死線も潜り抜けてきた。
だが、そんな彼女でも、このときばかりはそう感じずにはいられなかった。
圧倒的な力の差。
今ならあのルドベキアが、協力しないと勝てないと言ったのがわかる。
この男――ストリング皇帝は次元が違うのだ。
たとえアンが持つマシーナリーウイルスの力を使ったとしても――。
たとえ小雪、小鉄精霊たちの力を使ったとしても――。
ストリング皇帝には通用しないと、クリアは思ってしまっていた。
「もう戦えんかね? まあ、久しぶりに楽しめた。君ほどの使い手はにそうそう会えまい。おかげでだいぶ勘が取り戻せたよ。感謝する、クリア·ベルサウンド君」
ストリング皇帝は、左右の手にピックアップブレードを握ったまま、自分の長い髭を弄ぶ。
皇帝にとって、クリアとの戦いは準備運動のようなものでしかなかった。
思わず後退ってしまうクリア。
だが、彼女は――。
……しかし、ここで私がこの男を止めなければ……。
ブレイブ……情けない私に勇気をください……。
アンたちのために……亡くなったルーザーのためにも……私はこの男を倒さねばならない。
クリアは表情をキリっとさせ、前へと出る。
「リトルたち……お願い……」
「ほう、まだ何か手があったのかね? クリア·ベルサウンド君」
クリアは何も答えず、ただ両手に持った刀に神経を集中させた。
そして、彼女の顔が次第に生気を失っていく。
代わりに刀のほうは、凄まじい気を纏いだしていた。
クリアは、自分の命を刀に吸わせているのだ。
「たしかに途轍もないエネルギーだ。だが、顔色が悪いぞ。君はそんな状態で私と打ち合うつもりかね?」
「私はもう死んだ身……アンのためにもここで……あなたを止めてみせます」
まるで死人のような顔のクリアがそう言うと、ストリング皇帝は立ち止まって鼻を鳴らした。
まるで相手を見下すような、そんな表情をしている。
「くだらん。あの小娘にそんな価値があるのかね?」
「アンは私を救ってくれた人です。そのことをあなたに理解してもらおうとは思いません」
「君には失望したよ、クリア·ベルサウンド君。その修羅の如き太刀筋には、他人にすがらないという気高さを感じていたのだがね」
「では……参ります!」
自らの命の火を刀に託し、クリアはストリング皇帝へ飛ぶ斬撃を放った。
それと同時に一瞬で間合いを詰め、放たれた斬撃とともに、勢いをつけて皇帝へ斬りかかる。
「まったく……残念だよ」
だが、凄まじい斬撃に浴びたストリング皇帝は、爆風の中から現れると、飛び込んできたクリアの体を十字に斬り裂いた。
真っ赤なマグマようなピックアップブレードの光の刃で斬られた彼女は、その体に十字の傷をつけられ、そのまま吹き飛ばされてしまう。
「その傷だ。もう立てんだろう」
だが、クリアは立った。
2本の刀を松葉杖のようにして、立ち上がった。
その体――斬り裂かれた傷口からは、当然血は流れ、おまけに体の肉が焼かれたため蒸気のような煙があがっている。
「まだ立つか。それも他人のために……。くだらん。実にくだらんな。人はそれを勇気とは言わん。匹夫の勇、またはドン・キホーテ的勇気と言うのだ」
「俺もその意見に賛成だよ」
まだ戦うつもりでいたクリアを前にして、ストリング皇帝が呆れていると、どこからか妙に軽い感じの男の声が聞こえてきた。
ストリング皇帝が声のがするほうを向くと、そこには――。
「でも、命懸けで頑張っている人って、何故か放っておけないんだよな」
緑のジャケットに黒いパンツを穿いて、首にはゴーグル、手には革のフィンガーグローブを付けている男――。
ラスグリーン·ダルオレンジの姿があった。
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